1000を超えるエントリの中から、幾分読む甲斐のありそうなエントリに”selected”のカテゴリを付与しました。
エントリの大半が内容に重複のある駄文of駄文のため、とりあえずこれだけ読んどけば、あんどうの主張や叫びがどんなもんか大体わかると思います。それ以外はどれかのエントリの同語反復です。
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エントリの大半が内容に重複のある駄文of駄文のため、とりあえずこれだけ読んどけば、あんどうの主張や叫びがどんなもんか大体わかると思います。それ以外はどれかのエントリの同語反復です。
義母が退院した。かれこれ1週間の入院。妻は義母に「退院日は平日なんだから我々のお迎えなど期待せずに自分でタクシーで帰れ」と言い捨てていたが、私は裏で個別に義母へ連絡を取り、退院の際はお迎えに伺う旨を伝えていた。義母は、助かります、と私にだけ連絡を残してきた。仕事を中抜けして病院へ向かう。
久々に見た義母は二回りほど小さくなっていた。3週間ほどまともに食事を取れていないと、人はこうも痩せ細るのかと驚く。受け答えはしっかりしていて、歩行にも支障はなさそうではあるものの、義母の姿は、死、というものの手触りを確実に感じさせた。近しい親族を亡くした経験がほとんどないので憶測にすぎないが、10年持つかどうか。何かそのような明確な終わりの存在を認識した。
義母を家に送り、頼まれた買い出しをして、家まで届ける。帰路、車を運転しながらぼんやりと自分の命の終わりについて思いを馳せた。
最近は死ぬのがあまり怖くないな、と漠然と思っていたのだが、リアリティを持った死の輪郭を意識すると、逆に恐ろしさがぶり返してきた。明日が永久に来ない最後の一日のことを想像すると戦慄する。
とりあえず、いつ自分が食えなくなるとも限らないと、寿司を食いに行くことにした。腹が膨れると一旦は死の妄想が霧消した。食事というのは死から最も遠い営みなのかもしれない。ほかの生物の命と引き換えに自分を延命させる行為であることを、一口一口意識しながら味わった。
うろ覚えてかなり私の脚色が入っているが、内田樹がXでこんなことをつぶやいていた。
老人になると身体の部分部分が死んでいく。あ、もうこの機能は永久に回復することはないのだな、と悟る形で一部分の死を受け入れていく。死と生はゼロイチのものではなく、グラデーションをもったものなのだと。そうやって身体機能を一つずつ失っていく過程で徐々に死に慣らされていく、だから実は怖くないんだよと。
私が死を恐れるのは、身体実感として自らの死の可能性を全く感じないからであって、今この瞬間から明日死にます、という落差が恐ろしいのだと思う。階段を1段ずつ下りていくように一つずつ死んでいって、99%の身体機能が死んだ状態になったなら、100%の死はもはや生と大差のないものになって、今の私が想像するのよりもずっと怖いものではなくなっている可能性がある。てか、そういうものであってほしい。そんな願望を持って寝るとする。明日がちゃんと来るだろうか。来なくても意識せずにお陀仏になれるならそれでお願いしたい。
妻の母が年明けから入院している。
腸炎の一種で、ほぼ絶食状態で点滴生活を1週間ほど続けていた。
幸いにして容体は徐々に回復し、今朝の検査結果次第では退院できるかも、という話を昨夜義母から聞いていた。そのため、もともと立てていた予定をやりくりして、退院の介助ができるようにスタンバっていた。
お昼近くになって、義母から妻のもとに電話がかかってきた。主治医から、今日は退院できないと告げられたとのことだった。
私はまあそういうこともあるか、と思っていたのだが、妻の受け止めは違った。妻は電話で義母にまくしたてた。
「こっちは1日待機してたんだから、退院確定するまで連絡しないでくれる?もっと病院にも正確な説明をするように言ったのか?」
70を超えてほぼ食事も取れてない老人に対して、そんな口の利き方があるだろうか。論調としては、とにかく要望は簡潔に、情報は正確に、交渉は的確に、という話なのだが、そんなことを病床の人間に期待するほうがどうかしている。
案の定、義母が「そんなひどいこと言わないで」と電話口で嘆いている音声が聞こえた。それでも妻は自分の母への口撃を止めず、「だったらこうすればよかった」「
ああすることもできた」と後出しで何でも言える、「ああ言えばこう言う」の無限ループに義母を巻き込んでいた。そこは折れてやれよ。病床の人間なのだから、曖昧な言い方になったり、憶測や願望交じりのことを言ったり、弱気になったり遠慮して遠回しな言い方になることもあるだろうに。
あまりにも義母が不憫だったので、あとで個別LINEでフォローを入れておいた。「気が立ってるみたいですが気にしないでください。病院もそこまで丁寧に情報くれるわけないので妻の言い分はひどいと思います。まずは回復優先で。買い出しやサポートが必要なことは私に行ってください。予定の都合はつくので。」義母からはありがとうのスタンプ1つ、返信があった。
義母は普段から娘たちの世話をよく焼いてくれている。
習い事の送迎もたくさん担当してくれるし、私の出張のときは泊まりをさせてくれたりもする。正直、妻よりも母の仕事を担ってくれている。普段から世話になりっぱなしなので、こういう時くらいいつもの恩返しでサポートするのが家族だろうと思うのだが、妻は使えるときは使い倒して、お荷物になったら冷然と切り捨てるようだ。あんたほんとろくな死に方しないよ。
義母にとっての子どもが担う役割を、なんやかんや私が担っている感じ。介護になったら私がいろいろと世話を焼くことになるのかもしれない。自分ももちろんフルタイムの仕事があるので暇ではない。仕事の成果を出すうえではかなりのビハインドだ。だがこのことをキャリアの足枷と考えず、この家庭での役割発揮も含めて自分のキャリアと捉えることが大切なことだと思う。会社から評価されなくても人間的に正しいということはごまんとある。私はビジネスパーソンである前にパーソンでありたい。
ここ数日、福岡で人身事故のニュースが相次いでいる。
まだニュースになるくらい珍しいことではある。東京で人身事故のたびにニュースを流してたらキリがない。けれど、私が福岡にきた十数年前から比べると、人身事故の頻度が随分と増えたなあと感じる。
死にたくなるくらい辛い、と思うことは私にもよくあるけれど、本当にそれを実行してしまうまでには相当の距離がある。電車に突撃してミンチにされたり、屋上から飛び降りてプレスされる我が身を想像して背筋が凍る感覚を抱くくらいには正気を保っている。
ただ、こういうニュースに頻繁に触れると、死がじわじわと近づいているような薄気味悪さを感じる。飲まれないように気をつけなければ。
それにしても、1日を振り返って最も印象に残ったことがこれだということは。我ながらよほど薄っぺらさな日常を過ごしているようだ。そちらの方も同じくらい深刻である。
育休界隈の怨嗟反応はいつになっても燻っている。
記事によると、育休期間満了直後に退職をすることを「育休もらい逃げ」と呼称するらしい。育休者が職場にいる人間の立場から、育休者のスタンスを批判するニュアンスがビシビシと感じる言葉選びである。
そもそも育休者を批判する立場の人間が「与えた」育休でもないくせに、「もらい逃げ」とは随分上からの表現ですなぁ。強いて言うなら国が与えている。お前じゃないよ。でも批判する当人の感覚的には、なんとなく欠員の穴を埋めさせられて割を食っている気持ちでいるんだから、そう言いたくなるのもわからないではない。
ただ、いつも間違えちゃいけないのは、そんなカツカツの人員で現場を回させている経営陣が絶対的に悪いということだ。離脱しようとする人間を咎めるのはお門違いも甚だしい。人が取れないとか採算が合わないとかもっともらしい理由を並べるが、それをどうにかするのが経営陣の仕事である。それをどうにもできないのならば経営手腕が未熟で経営者を名乗る資格がないというだけのことだ。
経営者というのは言い訳が許されない。どんな不可抗力、不運の結果もすべて責任を取らなければならない。そのリスクと引き換えに高い報酬を得ているのだ。報酬はしっかりせしめておきながら、人員不足で現場がまわらないことを育休者が復帰せずに辞めるからだと責任を押しつけるのは、お前こそ「報酬もらい逃げ」だと批判しなければならない。
職場のメンバーも、育休後に退職する人を批判する前に、本当にその育休者が戻りたくなる環境を整えようと万策尽くしたのか我が身を振り返るべきだし、万策尽くしてなお離職を選んだ同僚に対しては気前よく送り出してやればいい。なぜならば、その職場にとどまり続けているのも、あなた自身の判断だからである。育休者の補てんがされない、負荷が増えた、見返りが少ない。それが不満で耐えられないなら、まずあなた自身が退職を検討したほうがいい。自分が浴びている不利益は、その職場にとどまると判断したことにすべての原因があって、その職場を離脱した人が原因ではない。そこをすり替えてはいけないのだ。
育休取得する方は、いったん職場から離れたことを契機に、復帰を当然視せずに自分のキャリアを俯瞰したほうがよい。職場のなかにいると惰性が働いて、自分が本当にやりたかったことでない仕事にまみれていることに違和感を持たなくなってしまう。せっかく解けた洗脳を自ら慌ててかけ直しに出向かなくてもよいではないか。どの選択が自分のためになるのか、しがらみなく検討できるまたとないチャンスである。「もらい逃げ」を唱える人間は洗脳されてるんだなと切り捨ててよろしい。自分の人生なのだから主導権を他人に易々と握られてはいけない。
ゲームに夢中になってたら日付変わってた。毎日ブログ更新は十日坊主に終わった。まあよい。寝るまでが今日だ。25時更新ということで継続とみなす。
小学校の給食が来週から開始のため、今週は毎昼食子どもたち分を用意しなくてはならなかった。昨日までは何とか自炊で食べさせてきたが、最終日の今日、私はついに心が折れ、近所のコメダ珈琲に外注することにした。仕事しながら子どもに補食させるのは時間のやりくりが大変なのだ。

フィッシュフライバーガー。うまいし、デカい。
お会計は家族3人で3千円ちょっと。まれに緊急避難的に利用する分には妥当な値段なのかな。しんどい度に外食してたら破産してしまう。平日の外食はあくまで「ここで無理すると精神保たない」とまで追い詰められたときの最終手段として位置づけておく必要がある。
明日から三連休か。わたしにとっては試練の時が続く。