un deux droit

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テレワーク最大の難関は妻

夫婦ダブルでの在宅勤務が始まって2週間。どこのご家庭も同様だと思うが、地獄である。時間や空間の融通で頻繁にトラブルが起きる⇒ストレスをため込み互いに敵対心⇒日常会話がとげとげしくなり、雑談レベルでかみ合わなくなり口論。これが断続的に繰り返される。

 

妻は要するに、一人の空間でだれにも邪魔されず日中を過ごしたいのだ。他人の存在を意識した瞬間にストレス値が高まる。トイレに行こうと思った時に先に誰かが入っている、とかですぐ沸点。それを避けるためにトイレ行きたいけど先に行く?って尋ねるようにしているが、尋ねられた時点ですでに自分のタイミングでないから不満。

 

ランチ時間はさらに地獄。朝夕は家族で過ごすから自分の欲求よりも家族との調和が求められる。子どもの食べられる、栄養の偏りのないメニューを決められた時間に食べる。その束縛から唯一解放されていたランチに他人の干渉が入る。どうせなら同じもの食べる?という遠慮。別々にとるにしても電子レンジやコンロの火、シンク、調理器具などを融通する手間。それらの摩擦がある時点でランチの幸福感は随分目減りするらしい。

いろいろ思いやって行動するけれども、その思いやりが望むもので無かったり、思いやられること自体がストレスがったりするみたいなので打つ手なし。結局唯一の希望は私を外に追い出すことなのだ。

私はそもそも他人の干渉ありきで生きているのでそのこと自体に今更ストレスはないが、そのことでストレスをぶつけられることに非常にストレスを感じている。お互い相手がおかしいと思っているわけだから上手く行くはずもない。冷却期間を置ければ対処のしようもあるけれど、その余地すらないのがダブル在宅の地獄である。誰か俺のアバターを作って仮想空間に飛ばしてくれ。自分の存在を現実空間から消してしまいたい。

長女はまるちゃん

明日は保育園の進級式。

長女と一緒に風呂に入りながら、

「次のクラスの担任は誰かね〜」

と話をする。


「そういえば去年のクラスの担任覚えてる?」

と聞くと、

「○○先生でしょ〜、☆☆先生に〜、△△先生!」

とパーフェクトを叩き出す。


「じゃあその前は?」

と聞くと、流石に2歳の記憶は曖昧らしく1人の名前も出てこない。


そこで、

「⬜︎⬜︎先生とか覚えてない?」

と尋ねると、

「あぁ〜、懐かしいねぇ〜」

と知ったような口を利く。


まあ現4歳の人間の、2歳当時の記憶なんざ人生の時間の中間地点だから、30歳の人間にとっての15歳みたいなもんだから、あながち大外れな表現でもない。


ただ、遠い昔を思い浮かべて目を細める姿が、なんとも小生意気で思わず苦笑。


おっちょこちょいで、ものぐさで、減らず口。そう育てたつもりは微塵もないのに、ちびまる子の道をひた走る娘の将来を憂いている。



仕事を舐めていいことはない

約10年前、社会人になりたての自分は完全に仕事を舐めていた。

そもそも働くとはなんぞや、ということすらまともに考えてもいなかったし、仕事を通じて何かを成し遂げたい、という思いは微塵もなかった。

そのため、「弊社でどのような仕事をしたいですか」という類の質問を面接でする企業は軒並み落ち、最終面接まで運良くその質問をせず内定を出してくれた最初の会社で私は就活をやめ、あっさりと入社することを決めた。様々な業界にそれぞれもっともらしい志望動機を並べ立てて内定先を収集するような輩のことは軽蔑していた。ペテン師め。俺は1度も自分の本心(仕事を通じて実現したいことは特にない)に嘘をつかずに内定を取ったぞ、と。

ただ、与えられたミッションを人よりは巧くこなすだろう、という要領の良さだけは根拠のない自信を持っていた。

最初に与えられたミッションは飛び込み営業。人手が足りず精査のされていない顧客未満リストを配られて駆けずり回った。いきなり非人道的な仕事の降られ方にショックを受ける同期もいたが、仕事になんの期待もなかった私は、まじでこういうことする会社あるんだな、と未経験の世界にワクワクしていた。会社の金で首都圏を歩き回り、世の中には実にいろんな会社があるんだなと半分社会科見学、半分遊びの気持ちでその期間を楽しんだ。途中、日本電気という会社がリストにあって、なんだこの舐めた会社名は、と思って川崎に向かって面食らったこともいい思い出だ。知らない人はググってほしい。

プライベートの用事は何もなかったので飲み会と聞けば全て参加し、週末はカラオケでオールして毎度午前様だった。給料は毎月大体使い切っていた。頼んでもいないのに毎月勝手に20万ほど自動で振り込まれる生活には感謝しかなかった。先輩はどの人も優しく親切で仕事ができると無邪気に信じ込んで日々を過ごしていた。なんの品定めもなくしっぽを振ってくる私の存在は、さぞかし可愛かったろう。

転機が訪れたのは入社しておよそ半年後、同期の1人が大型受注を提げて帰社してきた。食い詰めた先輩社員が少しでも関わった痕跡を残しておこぼれを頂戴しようとハイエナのように群がった。その受注を皮切りに、その同期は順調に案件を積み上げていった。

私はその事実に酷く傷ついた。一斉にスタートを切ってこんなにも差がつくものか。自分はその1人のチート同期を除いた他の同期と同じくらいの実績で、それは過去の先輩達の実績と比べても特に劣っているわけではなかったが、劣等感を抱かずにはおれなかった。努力を怠っていたとも思えないし、商品知識も入っている。商談のデモンストレーションをして先輩社員から改善を促される欠点もない。むしろ一つ上の代のレベルには既に到達していた。チート同期とも遜色ない。なのに結果がついてこない。

それから半年は地獄。なんとか結果を出そうと悪あがきをして自滅した。望みの薄い顧客にしつこくアタックしてクレームになったり、商談で顧客の希望と財布を考慮しない自分本位の提案を仕掛けて失注したり。完全にペースが乱れてしまった。その後本配属でチート同期だけが東京の花形場所に配属され、私含めその他の同期たちは例年同様各々地方に散っていった。

それからかなり時間が経って、冷静に同時を振り返って思うのは、ビジネスの世界にフェアなど一つもないということ。チート同期のエリアは他の同期とは明らかに有望顧客が偏っていた。一発リセマラ終了レベル。私の担当は即リセマラのクソエリアだった。それは2020年現在に至っても私の担当したエリアはペンペン草一つ生えていない不毛地帯であることから明白だ。成果と私の能力とは無関係で、私の努力が無駄であったことは時間が証明してくれた。

営業職が無慈悲だなと思うのは、前年度実績を考慮してエリアの再配分が行われること。つまり成果を出した営業はより成果の期待値が大きいエリアへ、成果が出せなかった営業は成果の期待値が低いエリアへシフトしていく。最初の入力値の些細な差が年度を追うごとに複利で膨らんでいく様は圧巻である。賢明な企業であればいろんなタイプのエリアを営業に経験させて、成果が果たしてエリアの特性なのか営業個人の特性なのか慎重に吟味するはずだが、余裕のない中小企業は目先の利益が大切なのでそんな配慮はない。なので、そういう会社に入って一年目に当たりを引けなかったら躊躇なく辞めたほうがいい。良くも悪くも人を適切に評価する機能が存在しないから、最初に当たりを引ければずっといい思いができるし、逆もまた然りなのだ。

一方でそれと反対のことも思う。いい思いをすることが仕事の目的なのか。ちやほやされて高い給料をもらって地位を築く。綺麗事かもしれないけれど、それはあくまで結果であって目的にするもんじゃないなと思う。そういう意味においては、やはり仕事を通じて実現したいものがなんなのか、キャリアのはじめに内省する苦痛を避けてはいけなかったということを反省している。先ほど言った通り、ビジネスの世界は全くフェアではない。成果を出すには運もかなり必要だし、組織運営は私欲が渦巻き全く合理性に欠ける。だから自分が与えられた業務に従事する上で、揺るがないポリシー、目指すビジョンを持っていないと周囲のノイズに翻弄されて簡単に座礁する。私は仕事を通じて表現する自分の生き様を定めるのに時間がかかり、ずいぶん無駄足を踏んだ気がする。しかしそれは社会に踏み入る時に自分が横着したつけであって、その生き様を定めるまで文句も言わず給料を払い続けてくれた会社にはやはり感謝している。

転職nendo×はてなブログ 特別お題キャンペーン #しごとの思い出

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by 株式会社Jizai「転職nendo」

営業の基本

地元のショッピングモールを妻と歩いていたら、若い女性から急に声をかけられた。

「お久しぶりです!覚えてますか?」

どこかで見たことあるけど誰かはわからない。仕事?プライベート?いずれにせよ明らかにパートナーといる時に声をかける神経はどうなってんだ?やましいことは何にもないのにドキドキしてしまう。早く思い出さないとかえって怪しい。

顔に出さないように必死になって頭を回転させて解答を捻り出した。次女の育休中に通っていた親子教室に通っていた人だった。およそ一年ぶりの再会。私は育休に復帰し、その女性は就職が決まって働いていたようだ。これなら怪しい交友関係でないと安堵し、お久しぶりです、こちらが妻です、と気さくに会話を紡いだ。

こちらが気を許したからか、その女性は名刺を出しながらもう一歩踏み込んできて、

「実はいま〇〇生命に勤めてるんですよ〜それで小さいお子さんのいる家庭にキャンペーンやってまして〜」と勝手に営業を始めた。まるっきり赤の他人とまでは言えないので、間に合ってますと無下に扱うのは心苦しい。しかし興味のない話を長々と聞かされるのも心底辛い。巻き込まれた妻はいよいよたまったもんじゃない。とりあえず資料だけ受け取って「子育て頑張りましょーね」と適当にエールを送りなんとか解放してもらうことに成功した。

自分は普段彼女と同じ営業の立場だけれど、営業をかけられる側に回ることは滅多にない。なので営業という仕事が人の時間を無闇に奪う罪深い職業であることを久々に痛感した。だからせめて商談の時間は徹頭徹尾顧客本位で、自分の進める商品やサービスは必ず相手のためになると確信を持てるものだけ、ということを肝に銘じた。おっさんは若くて可愛いだけでは仕事はいただけないのだ。

終息しない「仕事してますアピール」

今月初頭、在宅勤務が解禁された際にどさくさに紛れて導入されたチャットルーム。目的としては堂々とサボるやつがいるのを取り締まるために、最低でも出退勤はその時間にその事実を書き込むことで、サボりへの抑止力とすることだった。

 

そのチャットルームが、在宅勤務期間終了後も生き残っている。もう大半の社員が通常通り通勤をしていて、出勤の事実が明確に把握できるにもかかわらず、相も変わらずタイムカードとは別にチャットルームへ書き込みをさせている。最近は業務報告などもチャットルーム上でするようになり、朝アプリを開くと書き込みが50件を超えていてまともに読む気がしない。

 

働き方をアップデートする良き機会となるはずだった今回のコロナ騒動。それは、給料をもらうということの意味が、物理的に一定の期間を拘束されている事への対価から、純粋に仕事で生み出した価値への対価へと移行するはずだった。そのことにより儀礼的で仕事の価値創造に寄与しない、役員・管理職がその地位を実感するためだけの無闇な拘束が一掃される。そんなことを割と本気で期待していたのに、事態は一層悪化した。グループウェアを見れば一目瞭然であった一人一人の予定や業務をわざわざチャットルームに転記するという無意味な作業を営業メンバーは黙々と行っている。管理職はわざわざそれを読む、というただただ時間を浪費するだけの作業が増えて、仕事をした気になれるし、下々の者が自分たちに対して忠実に尻尾を振る様を見て自尊心を満たしている。見ていて反吐が出る。自尊心というかもはや自慰行為。束縛されて嫌がる人を見て余計興奮している。私はそんなおっさんどものオナニーに自分の時間を供託するのがあほらしくなって先週早々にチャットルームへの書き込みをやめた。自分からわざわざ他の社員たちに造反を教唆して、おっさんどもの反感を必要以上に買うリスクを犯しはしないが、若手にはくれぐれも自分の時間と自尊心を自ら守る心の強さを持ってほしいなと願っている。

育児と営業スキルの両立

下の子が2月から断続的に体調不良で、仕事のスケジュールが夫婦ともめちゃくちゃになっている。今日も午前中は私が通院と看病をし、午後は妻に任せて最低限の商談だけ済ませてさっさと帰る予定。

やっと取れたアポイント、こだわりたかった提案のクオリティ、携わりたかったプロジェクト、参加したかった勉強会。そう言ったものたちが眼前をみすみす通り過ぎていくのを指を加えて傍観する毎日だ。

モチベーションを管理してこそプロ、みたいなことを軽々しく言う人には、たまたま道ゆく子犬がしょんべん引っ掛けたり、フライトで隣に座った人の体臭がめちゃスパイシーだったりして自説の正しさを証明する試練が次々と降り注いでほしい。

今のところ、モチベーションは下がっていないつもりだ。でも、提案のアグレッシブさ、リスクをとって顧客の急所に飛び込み大きな提案を仕掛けるときの気迫みたいなものはちょっと足りないかもしれない。寝不足による体調不良だったり、事前の時間が満足に取れない準備不足だったりして、ちょっと弱気になってしまう。結果、より穏当で、利益の低く、受注確度の高い提案で丸く収めがちだ。

顧客の問題解決は、本質的であればあるほど相手にとって痛みを伴うものだ。その提案は耳が痛く、長々と聞いていられるものではない。なので、やる時は一撃。手早く仕留めないでもたもたしていると相手の中に潜む現状維持モンスターの返り討ちに遭う。一瞬の隙を逃さない高度な集中力と度胸が求められる。それは、モチベーションとはもっと別の性質だと思う。

ちょいちょい仕事を中抜けすることによる、社内の偉い人からの心証悪化はもはや本当にどうでもいいんだけど、狩猟技術だけは死守したいと切に願っている。

健康は贈与できない。それならば、

池江璃花子選手の近況がニュースで報じられているのを目にした。

病の無慈悲さと、それをものともしない溌剌とした笑顔が、一枚の写真の中に同居していた。

その鮮鋭なコントラストに、思わず息が詰まった。

彼女の一日一日を懸命に生き抜こうとする姿を前にして、ぶつぶつとくだらない不満を吐き出しながら、鼻くそほじって日々の時間を垂れ流している己の醜さを、ただただ恥じ入るばかりだ。

 

「あなたは自分の人生を存分に生き抜いていますか?」

 

口汚い表現を使えば、

 

「なに余裕ぶっこいちゃってんすか?」

 

彼女の写真は、見た人一人ひとりにそう鋭く問いかけるパワーを持っている。

何か駆り立てられている感じ。

自分にできることと言えば、とりあえず腕立て。

体を存分に酷使できることに感謝を唱えながら。

サボって生きてんじゃねーよ、と自分を罵りながら。