un deux droit

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他者評価の慣性

今年度の期末賞与通知が来た。額面にして100万円也。ここからどれだけ税金が引かれるかは振り込まれてからの話だし、どうせ大半を家庭の口座に入金するだけだから実益はないんだけど、中小企業勤務の割には貰えたほうだと思う。

残した利益という意味では、過去にはもっと良い成績の年もあったんだけど、その年よりも多くもらった。来期から私をマネージャーにするという判断が先にあり、その後に賞与額を判断するという順で物事が決まっていったわけだが、もうマネージャーにするという判断を下してしまった手前、その判断と整合性の取れない評価をつけることは心理的に抵抗があったのだろう。そのおかげで、色眼鏡なく評価すればせいぜい50万程度の賞与にしかならなかったはずの成績で、倍額の査定をしてもらった。

結局、成果配分なんて言ったとて、成果だけを虚心坦懐に査定できる評価者などいない。評価者は、必ず過去に自分が下した評価の影響を受ける。整合性の取れない事象が発生したら、過去の自分の判断を優越させ、目の前の現実を否定する。そうして自分の一貫性に対する神話を保とうとするのだ。去年S評価の働きをした人間が今年E評価のしごとしかしないなんてことは珍しくない。それくらい人は一貫性がない。なのに評価者はその通りに現実を見ようとすると、自分の目が節穴かもしれないと傷ついてしまう。

そんなわけで低い評価を得た後に覆すのも、高い評価を得た後に翻すのも、同様に難しい。私はしばらくはボーナスタイムが続く。周りがマネージャーとして一目置く。馬鹿なことをやっても、マネージャーなのに気さくで親しみやすい人となるし、アホなことを言っても、裏に深い意味があるのではと勘ぐってもらえる。ボーナスタイムのうちに色んな人と仲良くなって、遊んで、気前よく奢って、牙城を作ろうと思う。