un deux droit

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採点と配点

今朝も朝から痴話喧嘩。もううんざり。そんなに違和感が気になって仕方ないなら、俺を漂白剤にでも漬けて殺してくれ。

「そんなに気に入らないことが私に多いなら、そもそも私はあなたに全くフィットしてないんじゃないの。全然違う人間の型を無理やりに嵌められても入るわけないよ。その型に合いそうな人を探すところからやり直してくれ。」私はそう吐き捨てた。すると、「そもそも型は合っている。大筋で不満はない。だから結婚をしている」と返答が来た。話が噛み合わない。

妻からすると、私は酒を飲まない、タバコを吸わない、ギャンブルをしない、友達付き合いが少ない、家事をちゃんとやるなど、基本的な点はクリアしている存在である。それで100点。それは当然の前提だから、感謝する筋合いのものでもない。感謝するということは、その人に期待できないと思っていたことが叶ったときにするものだそうだ。その点を損じたら不満が出るのではなく離婚。契約違反だから。そういう世界観。
その上で、あと1点、2点と加算できるもんならできないかなと絶えず狙っているようだ。

私の受け止めとしては妻にとっての100点部分(すなわち当然の前提により評価は割愛)の部分が採点されていないように感じる。あるいは評価されていても、不当に配点が低いように感じる。体感では、赤点以下の評価。追い打ちをかけるように際限なくダメ出しを食らうため、赤点評価されているんじゃないかという体感はますます信憑性を帯びてくる。配点的には家事の満点が30点、妻の好むコミュニケーションの満点が70点のテストを受けている感じ。妻にとっては割愛でも、私にとっては無価値と言われているようにしか感じられない。

40代男性の平均年収を稼ぎながら、毎日の子どもの送り迎え、朝夕の食事、掃除機、トイレ掃除、皿洗い、キッチン掃除、洗面所掃除、ごみ捨て、風呂掃除を担当し、酒タバコギャンブルから無縁で、稼ぎの9割を家庭に上納(残りの1割は保険と昼食代に消える)し、趣味もなく、服は基本ユニクロで、太ってもハゲでも不潔でもなく、暴力的でない私は、もう少しありがたいと思ってもらってもいいと思うんだ。割愛はせずに。