un deux droit

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他人の死は哀しい

同僚の女性が亡くなった。くも膜下出血だった。
健康に問題があるようには見えなかったし、先週まで普通にチャットのやり取りをしていたので、今ひとつ現実感がない。これが死というやつなのか。

とても明るい人だった。特段一緒に仕事をしたことはないのだが、その印象だけが残っている。湿気のない、カラッとしたキャラ。誰からも死を願われるような恨みを買うことのない、ただただ善良な人間だった。そういう人に限って呆気なく逝ってしまうというのは世の常だ。もっとあいつとかあいつとか、あの世に引っ張ってっても惜しくないやつは他にいるだろう。死神の腕が悪すぎる。やるならもっとちゃんと腕を磨いてこい。

彼女にはまだ小学生のお子さんがいるというのに、なんと無慈悲なことだろう。今日は1日塞いだ気分だった。

もっとも、残酷に見えるのは他所から見た勝手な想像の可能性もある。我が家みたいにいっそのこと夫婦どちらかが死んでしまったほうが、喧嘩もないし、ローンも消えて、円満な生活を送れる可能性が高まる家庭も少なくないはずだ。妻は私が死んでも悲しまないし、露頭にも迷わない。私は妻が死んでも心の重荷がとれて楽になるだけ。表面的には沈痛な面持ちを崩さないだろうが、内心どう思っているかなど他人にはわかるまい。

子どもの視点に立ってみても、私を失ったとて何の不具合もないように思う。妻にやり込められてしょぼくれた中年男の姿を、これ以上見なくて済むのなら、そっちのほうが生育には良い影響があるかもしれない。

そこまで考えて、彼女の家庭を憐れむのをやめた。人は強い。切り替えていこう。治療がズルズルと長引きながら徐々に摩耗していくよりも、ずいぶんと潔い死に方だった。俺もそれ憧れるよ。そんな軽口を叩き、故人の冥福を祈る。