un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

権利と義務、自由と責任

今年度のひな祭りは大惨事で幕を閉じました。

きっかけは些細なこと。妻の小言が耳障りで、私反応が悪かったのだが、その態度を妻が許容できなかった。その許容できなかったことに私が憤慨した。以下無限ループにエスカレート。サラエボ事件よろしく、火種はどんな些細なことだっていいのだ。ドンパチやりたい、機会があればやり込めたいとあらかじめ互いに思っていて、あとは名目さえ整えばよかった。

妻の私に求める態度は、私が妻に対する愛情がある前提の行為ばかりだ。しかし妻への愛情はとうの昔に潰えている。ここで言う愛情とは、相手の至らないところも微笑ましく見えてしまったり、多少無茶なことを言われても応じてあげたくなるような感情のことだ。簡単に言えば、自分の利益にならないことを喜んでできる状態である。かつては私も妻にそういう感情を持ち合わせていた。しかし、二人目が生まれて以降、セックスどころか身体を見られることも拒み、一緒に寝ると落ち着かないと言われ、諍いで恐ろしい形相を何度も目の当たりにし、挙句の果てには頭をかち割られる、という経験をして、そういった感情は摩滅した。

一方、家庭を営む上での相手への尊敬や信頼はしっかりと持っていた。仕事で高い成果を残してくるし、家事も滞らない。お金もちょろまかさず破綻しない程度に公明正大に浪費をしている。生活の知恵や人生の指針などは私にないものばかりだ。そういう側面をもってして、婚姻関係を継続することは可能だと考えていた。感情は往来しないけど、互いに努力を重ねることはできる。そういう日々もそれなりに生きがいはある。それでいいじゃないか。だってあなた私のこと好きでもなんでもないじゃない。好きでもない人から愛されても嬉しくないでしょ?でも家庭を運営するパートナーとしては一定の信頼をしているんでしょ?もうそれで満足しようよ。そう割り切っていた。

でも妻はそこで割り切りができないみたいだ。愛したくないが愛されたい。でも愛してない人からされても嬉しくない。だから永久に満たされない。そんな絶望的な不満をぶちまけられる。まずはあなたが人を愛するところから全ては始まるし、愛せなくなったらもうその先は何も回転していかない。そこの達観ができないならやはり関係を解消して、あなたが愛せる男性で、愛してもらえてると嬉しく思える人と再婚をしてみてほしい。

そんなことを、後で話そうと思う。