un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

日常に連れ戻されて

出張から帰り、家族とのいつもの日常に強制リセットされた。この土日はひな祭りという家族イベントにみっちり費やされる。ケーキやちらし寿司を子ども達と作る。

昔の交際相手に会ったことで、もともとあった心の空洞を改めて直視することになり、目の前の家族ごっこが白々しく思えてしまう。親としてかけられる期待に応え、言われた作業を淡々とこなすだけ。自分の心からの気持ちで体験を楽しみたいという気持ちは湧いてこない。

子どもはそういうの気づくのかな。私自身が子どもの頃、親から愛情を払われてるかどうかに関心がなかった、そこに疑問に思ったことがなかったので、表面的に違和感なく振る舞ってればそのまま親子でいられるかもしれない。

この前会った昔の交際相手は、母親がかなり教育熱心で、幼少期は習い事漬けだったらしい。常に一番を目指すことを要求され、泣きながら、歯を食いしばって、地獄の幼少期を耐え抜いた。おかげで頭脳明晰、スポーツ万能、英語堪能となり、研究者として現在活躍をしているが、その幼少期のトラウマから常に緊張状態にあり、武装解除できない性格になったようだ。彼女が私と出会ったのは色々とスランプに陥っていたときで、私がそういうプレッシャーから無縁でなんの高い期待を周囲からも課されず、自分に課すこともなく、能天気に人生を送っている姿が眩しく見えたらしい。要するにただのアホ。でも彼女の人生にそんなアホはいなかった。それが傷ついた彼女のシェルターになった。そんな背伸びしなくても十分かっこいいよ。そんなことを当時よく言っていたと思う。それから彼女は初めて周りから期待されることでなく、自分がやりたいことを優先するようになった。やりたいことがやれたのは地獄の下積みがあったからで、最初から私のように能天気に生きていたら、やりたいことを実現するだけの能力は手に入らなかった。けどその後私と別の人生を歩んだ彼女はシェルター無しで世間の荒波に揉まれていて、メンタルの維持に苦慮している。人生はなかなか複雑にできている。

私は子ども達への心からの関与がたぶんできない。妻との関係の問題ではなく、そもそも関心が薄い。あれやこれやと世話をやいてやらない。宿題やらなければならないまま、忘れ物があれば忘れたまま。バックアップ機能を担わない。でもそれで今のところ、自分のことは自分でできる人間にはなってきた。ただ期待をかけなかったことで、見放題見ているYouTubeを制限しなかったことで伸びる可能性のあった能力が伸びなかったということもあるかもしれない。心身が健全に育ち、愛し愛されることに障害がなく、関心軸に能力を伸長させていける人生を子どもに提供するのは本当にバランスが難しい。

昔の交際相手は、持ち前の語学力と専門領域についての豊富な経験を携えて、海外移住を考えているらしい。我々の心は部分的に深くつながったが、実際に生活をともにする、ということを空想すると、露骨に私の能力が足りない。英語は大学受験以来使ってないし、外国の人とコミュニケーションを取ることに苦手意識を持っている。そして携えていける労働スキルがない。生活面ではただの足かせになる。これは付き合っていた時代からわかりきっていたことで、結局私には一緒に生きていく資格がなかったのだ。

子ども達にはどんな人を愛することになるかもわからないから、できるだけ色んなタイプの人と添い遂げられるように、様々な経験を積むことだけは提供したい。それは自分の後悔から真剣に思う。