un deux droit

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人生における子どもの位置づけ

変な時間に目が冴えてしまった。

爆睡していたところ、次女がトイレでおもらしをしたと訴えてきたので、寝ぼけ眼で後処理と着替えをさせ、もう一度寝かしつけたところで時計を見たらまだ0時半。体感は朝6時だったので身体はむやみにピンピンしている。これが得なのか損なのかわからない。多分変な時間にねむくなるのだろう。入眠の儀式としてブログを書く。

昨日は次女が久々に発熱し、仕事は全滅。看護休暇を取得し、片っ端から会議をキャンセルして看病にあたる。気の済むまでアイスやゼリー、プリンを与え、寝落ちするまで絵本を読み続けた一日。昼も夜も食事はにゅうめん。明日は雑炊とかフルーツとか食べれるようになったらいいな。そんなことを考えながら本日3度目の寝落ちまで絵本読みに付き合って1日の労働が終了。お風呂入ったらクタクタになって22時半には就寝していた。

そしたらしばらくして次女が私のベッドに潜り込んてきて、またしばらくしたら前述のトイレ事件が勃発。就寝してからここまで約2時間。どう考えてもまともに寝てないから頭がバグってるだけだな。早く眠気よ来い。

毎日毎日単調な日々だし、自分のやりたいことは人んど叶わないし、金めちゃかかるし、何なら風邪移されてる気がしてならないけど、それでも子どもは可愛くて、それだけでお釣り来る日常。もし子どもがいなかったら楽勝すぎる人生だったとは思うけれど、それはスライムしか出現しないロープレがいいと言っているようなもので、子どもという存在は、人生というゲームを波乱万丈でスリリングでやり込み甲斐のあるものにする格好の要素だ。私が感じる単調さは、勝てないボスを攻略するためのレベル上げみたいなもん。そんなわけで巷の話題になっている子どもアリナシ論争はメリットデメリットて語ることに無意味さを感じている。どういう難易度の人性がお好みか、というだけの話で良いも悪いもない。あぁようやく眠気が来た。おやすみ。