un deux droit

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税金に対する青臭い考え

所得のうちの税金や社会保険料の割合を計算した「国民負担率」のニュースが盛り上がっている。

www3.nhk.or.jp

Twitterを眺めていると
「まるで五公五民だ」
「江戸時代か」
「なら一揆しようぜ」
と怨嗟が渦巻いている。

その流れで「むざむざと国に召し上げられているのはばかばかしい」という言説で、投資や節税へと誘う書き込みも頻繁に見られる。
「いかに取られるお金を減らして、自分のためだけに使う量をどれだけ増やせたか」が人間の賢さを決めるとでも言わんばかりだ。

その風潮に対してちょっとだけ冷静になろうよ、と言いたい。

確かに租税負担は重い。物価も上がっていて先行きに対する不安はある。
けれど税金が重い→税金を減らせ、だと私たちの生活問題は悪化する。
税収減は道路やインフラ、教育などの公共サービスの質の低下に直結するからだ。

本当に問題なのは、税金の取られ方と使い方である。取られるべき高額所得者や大企業から取られず庶民の負担が重いし、取った税金が兵器ばっかりに使われている。だれから取るべきかの公平性と、何に使うべきかの公益性が高まれば税金が高いこと自体はさほど問題ではない。税を納める人の生活が破綻せず、社会を維持する貴重な資金として有効活用されればよいのだ。このことは国民として共有すべき基本的な建前だと思うのだけれど、その建前の信憑性がずいぶん毀損されてしまっていることを悲しく思う。

税そのものを悪者にしてしまって、自分の稼いだ金は自分のためだけに使われるべきだ、と信じて疑わない人が増えるのは望ましいことではない。
税をたくさん負担する人は、社会の維持のためにより多くの拠出をした人であって、立派なことでもあるわけだ。
たくさん稼いでいるのにちっともその分け前を社会に還元しない人は、社会に対するフリーライダーであり、褒められた存在ではない。
その高額所得者が自分の子ども達にライフハックとして節税の「英才教育」をしていると思うのだけれど、あまりあけすけにやるのは恥ずかしいことだよ。法律違反ではないとしても、本来の税金の趣旨からは逸脱した行動なので、一抹のうしろめたさだけはしっかり感じながら節税に励んでもらいたいものです。