un deux droit

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妻の精神的成長?

今朝は次女が5時に起き、なかなかの過酷な寝覚め。昨日夕飯も食べずに寝落ちしたからある程度覚悟はしていたが、その分夕方休めたかというとそうではなく、長女がここぞとばかりに甘ったれまくって22時過ぎまで寝ず、家事をキッチリ滞らせて疲弊させてくれたので単純に寝る時間が短くなっただけ。かなしい。
次女を朝風呂に入れるために昨日の湯を追い焚きすると、「シャワーじゃなくてお風呂入るんだ」と妻がちくり。「あぁ、、その方がご機嫌がいいから…」と弁明するも、ガス代が勿体無いとか、出かける準備の時間が圧迫されるのに計画なしとか詰られるのではないかと気が気でなくなる。幸いその後何もお咎めなし。連日の喧嘩のためが気にしすぎだった様子。
「昨日寝る前トイレ入った?」
妻からまた別のトラップ発動。妻が黄ばみ取りの洗剤を便器に入れていたのに、私が寝る前のトイレに行ったために十分な洗浄効果が得られなかったのだ。
「あぁ、、寝る前にトイレ行きたくて、洗剤とかしてたよね」
今日はこの件で不穏になるかと思いきや、トイレ行かないでもう寝るかなと思ったんだけどなー、と独り言。流石に排泄は許してくれるらしい。
「イスの配置変えたの?」妻から第3の矢。
「ああ、、長女がテレビの方へ足を斜めに放り出す座り癖が気になったから、テレビが逆側になるように移動してみたんだ」
これについては結構いいアイディアと観察力だと思ったのだが、これが本日の地雷。家具の配置については一家言あったので勝手に変えないでくれ、こだわりがない方がある方に常に配慮すべき、という話。
そんなこと言ったら全てにおいて私より妻の方がこだわりあるから結局全てのことにお伺い立てなきゃならんかなるけど…そう言いかけた途端、「なんでも依存するなとか自分の頭で考えろとか言っているのと矛盾するようで悪いけど」と妻が弁明。いや、わかってるならいいのだよ。自分が無茶苦茶なことを自覚してくれれば。そこを無理に正当化するから私の逃げ場がなくなる。正当でないということを認めてくれればどれほど息がしやすいことか。「取り返しのつかないことじゃないんだから、しっくりこなければ元に戻せばいいだけじゃん」と余計な一言を言いたい気持ちを飲み込み、「いろんな意図があってこの配置なのに、そこを弁えず部分最適で勝手に行動してごめんね」と穏便に終結することができた。
その後も穏便に1日がすぎ、今、平穏な気持ちで床についている。こだわりの強い方に合わせるのは家庭生活の秘訣なのだけど、こだわりの強さゆえ周囲に負荷をかけていることの自覚を口に出して伝えてくれることが本当に大切。たとえそのこだわりがいかに家族全体にとって価値をもたらしていたとしても、それを理由にして負荷への言及をスキップしてはならない。妻がそれをわかってくれたことが嬉しい。単に生理が終わりかけているだけなんだろうけど。