un deux droit

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家族とは何か

今朝はなんか辛気臭い、応答がぎこちない、という話で一悶着。もはや存在が気に入らない、と言われているレベルに突入しており、この人ほんとに家族を維持する気あるのかなと妻に対して白けた気持ちが湧いてくる。

妻は言う。
「文句もダメ出しも言いがかりも躊躇なく言えるのは、それは家族というシステムに対する信頼なの。甘えと言ってもいい。甘えというのはデレデレベタベタキャッキャウフフのことだけを言うのではないの。醜い自分、弱い自分をありのまま曝け出すことが甘えなの。大人として他人同士の関係では我慢すべきこと、口を噤むべきことを我慢しなくていい、口を噤まなくていい唯一の場所が家族なの。社会では一瞬たりとも気を抜けないの。だから気が休まらない。でも人間としてそれは本来不自然な状態なの。本当は嫌なことを嫌と言いたい。弱音を吐きたい。怒りに任せたい。泣きたい。本音を押し殺して表面的にニコニコと取り繕って人は疲弊する。家族はそういう気を煩わせなくていい安らぎの空間なの。だから外でもやっているような我慢を家庭内でも期待されるなら、そんな家族は必要ないの。その我慢をしたくなくて、気心のしれた人と心のシェルターを形成するのが家族という営みなの。あなたはきっと元の家族でその安らぎを得られなかったのよ。家族の中でも気を遣ってよそ行きの態度で本音を隠して表面的な仲良し家族を取り繕ってきたの。なんてそれが必要だったかというと、それが楽だったの。お互い本音をぶつけあうっていったってそこには一応マナーがある。エチケットがある。その一線を越えないよう慎重に、でも自分が本音をぶちまけて心が安らげる程度にぎりぎりを攻めるのは、かなり高度なコミュニケーションスキルが必要なの。そのスキルを磨く大変さを嫌って、お互い踏み込まない楽な道を選んだの。でも結果お互いが本当に何考えてるのかわからない家族になったでしょ。おそらく自分自身も自分の本音を殺す生活を長く続けすぎて本音がどこにあるか自分でもわかんなくなっちゃってるのよ。それって幸せなの?」

お互いの実家が形成してきた家族関係の哲学。そのどちらもそれなりに合理性と利便性があって形作られてきたので、その哲学の内部では論理矛盾が起きず、心穏やかに生きていける。ただし、一歩でもその宗派の外に出ると途端に整合性が取れなくなって関係構築が破綻する。一神教同士で違う神を信じてるので最終戦争に突入している感じ。家族だからこそ気を遣わないのか、家族だからこそ一定の気を遣うのか、どちらの宗派が多いのだろうか。とりあえず私は今頑張って改宗を進めているが、一つ一つの行為の意味が反転するので頭が爆発しそう。