un deux droit

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普通でとどまり続けることの過激さ

昨日、就寝前に金スマをTVerで見たのだが、元V6の坂本くんが奥さんとの日常について「毎日爆笑から始まってる」って言ってて無性に羨ましく感じた。こちとら毎朝第一声からイザコザが始まるような剣呑な生活をしているというのに。

自分が憧れていた夫婦生活は、一緒にいること自体が楽しく感じられる、心躍る毎日だった。いざ結婚してみると、そんなものはこの世に存在しないということをすぐに悟り、今では憧れていた事実すら忘却の彼方にすっ飛ばしていたのに、私が憧れた夫婦関係を地で行く坂本くんのエピソードトークは10年前の青臭い私を呼び起こしてしまった。お陰で悶々とした気分になり、随分根付きが悪かった。

そんな未練が作用したのか、久々に夢を見た。振り返れば私にとって最も理想に近かった、かつて付き合っていた女性。その女性とどこかの洋館で一夜を共にして、朝目を覚ました。横に寝る彼女を眺め、完全に心を許した間柄の心地よさを久々に思い返していた。そう言えば彼女とは、同じベッドで寝るのが苦痛に感じたことなんかなかった。緊張することだってなかった。その安らぎを妻から感じることが全くできない今となっては、それがいかに貴重なことだったかを思い知らされ、苦虫を噛んだ。そんな甘い時間も突如終わりを告げる。廊下の奥から無表情の妻が猛然と勢いで歩み寄ってくる。悲鳴は出ていなかったはずだが、「死んだ」という感覚を覚えて跳ね起きた。夢か。それにしてもとんでもない夢だった。そして私は妻のことを心の底から恐れているのだなと思い、腹の底に石を抱えたような、重苦しい気分でベッドを出た。

絶賛生理中の妻は、今日も何かと因縁をつけて口論を引き起こす。人格と生まれや育ちを好き放題否定してきて、それで私が機嫌を損ね口数が減ると「無視した」と詰る。どんな屈辱的な暴言もニコニコしながら、そうだねごめんねと受け止め続けても、「相槌だけ打ってれば機嫌直ると思ったか」と煽ってくる。自分の考えを伝え、ここがこう悪かったと分析すると反論するなと言う。自分の応答で速やかに解決する術がない。ただ長時間のダメ出しを聞き続け、妻の気持ちがせいせいするまで待つしかない。

なんでそんなにパートナーに好き放題言えるのか、と問うと、衝撃の答えがあった。

妻はまず、夫から自立していたい。依存や執着をしたくない。自分ファーストで自分が犠牲になるようなことはしたくない。何も我慢したくない。でも結婚しないと世間体が悪い。それによる不利益も鬱陶しい。しかし他人と暮せば必ず衝突がある。自分の思い通りにならない。だから自分の思い通りにならない部分ができるだけ最小化できる人を選んだ。それにはそこそこの知能があって、性格に問題がない「普通の人」である必要があった。性格が良すぎたり、容姿が良すぎたり、稼ぎが多すぎたりすると、妻自身がそれに囚われて、執着をしてしまう。だからそれらもすべて「そこそこ」。仮に仲違いして失っても惜しくない程度の人間である必要がある。その程度の器量ならば浮気する心配もないし、女が浮気を仕掛けたくなるような魅力もなく、余計なトラブルもない。そういう「ちょうどいい」人材はなかなかないのだそうだ。

俺の人生ってなんなんだろう。とても虚しい。