un deux droit

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ゲーム理論的に共働きを考える

今日は何があるわけでもなく有給をとり、家のことをする日にあてる。今日は自宅勤務だから家のこと色々できるよと妻に伝えると、早速夏物家電の清掃、収納や、大型不用品のリサイクルセンターへの搬入、ちょっと遠いスーパーにしか売ってない食糧品の調達など、まとまった時間がないとできない、優先順位の下がりがちなタスク処理を頼まれ、こなしてきた。家庭サービスというのは平日きっちり仕事をやり切った後の余力で土日にやるものではなく、平日の仕事を控えて平日にねじ込んで初めてサービスと言える。余力じゃなくて全力。土日は子どもを含めた家族との憩いの時間。家事なんぞに割いている場合ではないのだ。


昨日一人でランチを食っていると、隣のテーブルのサラリーマン四人組のうちの1人が「嫁に正社員になってもらいたい」という愚痴をこぼしていた。稼げる妻に憧れる、なんで俺だけこんな削られなきゃならんの、妻は子どもと遊んで家事やるだけじゃん、みたいなボヤキを延々としていた。

彼が一つ見落としているのは、子持ちで共働きになった瞬間、自分の仕事に制約が掛かることだ。子どもの突発的な急病の機会に、そのうちの半分は対応しなければならない。妻が残業となり保育園のお迎えや夕飯の支度や風呂に入れるなどをワンオペでやるなんて日も増える。制約が出た途端急に評価が下がったり、仕事でミスしたりするわけではないが、「自分の満足するクオリティまで仕事をやり切る」だとか「自分の気持ちが乗るまで難しい仕事を放置しておく」なんて贅沢はできなくなる。自分の実力の8割くらいしか発揮できない感覚に陥る。当然、年度末の査定は本調子より幾分目減する。そんな暮らしを7、8年続けると年収にすると100万くらい違ってくる。そのマイナス100万円を甘受できるかどうか。それが「妻を一馬力として働かせる」なんて嘯く男に課せられた踏み絵である。それを踏まずに、しかし一馬力分稼いでこいと宣うのは離婚への13階段を駆け登っていると同義である。

ゲーム理論で考えるとわかりやすい。
夫は100パーの実力を発揮できる片働き正社員なら年収500万、妻は400万とする(日本の男女差別を鑑みて)。

家事育児を一手に引き受け、隙間に働くパートの場合、夫婦どちらとも100万とする。

そして共働きだと片働きより年収が100万下がるとする。

夫正社員/妻正社員は400+300=700が世帯年収
夫正社員/妻パートは500+100=600

感覚的にはこんな感じ。

夫正社員/妻無職が500なので夫の感覚としては500+300=800万の世帯年収を目論んでいると思うがそう世間は甘くない。それでも妻にパートで働いてもらうよりは100万円世帯年収が上がる。自分の手取りは100万減るが世帯年収は100万増える。合理的に考えたら後者の一択だが、それがなかなか選べないのがゲーム理論的である。

もちろん共働きの制約は金だけの話ではないし、制約の苦痛しかないわけでもないのだけれど、彼の頭は金のことだけだったので、金のことだけ見ても多分共働きを選べないんだろうな、というお話。みんな賢く生きよう。