un deux droit

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ナッジ理論の実践

今日は小学校の秋祭本番。学童保育の保護者会からも出店するので、その運営に携わってきた。

↓企画立案までの話
一肌脱ぎたくなくて一肌脱ぐ - un deux droitun-deux-droit.hatenablog.com



結局、イベント自体はコロナ感染を配慮してか例年の半分の時間での開催となり、それに従い予想される顧客数も最後に開催された3年前の記録の半分である250名分とし、景品の数も230くらいになるように整えた。出店の内容は簡単な的あてゲームのようなもの。ゲーム自体が面白いというより、景品の豪華さで釣る感じ。パーフェクトの特賞になるものはそれなりに豪華な品が保護者からの寄付で集まった。

イベントの開始時刻。とりあえず計画したとおりにミニゲームと景品、受付と看板を並べ、小学生たちが訪れるのを待つ。しかし、遠巻きに見てこの出店が何をやるところなのか伝わりにくく、子ども達も警戒してなかなか訪れない。スタッフの保護者達もこういう営業のプロではないため、思い思いに客の呼び込みのための声を挙げるが、子ども達は一向に遊びに来ない。隣のブースで少年野球団がストラックアウトをやっていたり、オヤジの会が焼そばを焼いていたりと遠巻きに見て明らかに引きの強い店に子どもたちが吸い寄せられていく。その惨状を目の当たりにしながらも、主体性なく寄せ集められただけの我々保護者達は、誰が何の打開策を示すわけでもなく、ただ手をこまねいていた。こういうときボランティアの集団は弱い。作業だけならしぶしぶできるが、根本の動機が不在なため一肌脱ぐ気になれないし、仮にその気があってもあまり出しゃばって張り切りにくい空気感がある。お互い気まずい表情を浮かべ、目くばせしながらただただ時間だけが過ぎ去っていった。

祭の全体像を観察しながら、私はせっかくならばどうにかこの店を繁盛させる手はないか、と思案していた。それもできるだけ張り切って出しゃばっている感じが伝わらないように。すると、スタッフの子どもとその友人が数名、半分サクラみたいな感じで遊びに来てくれた。内輪の客だろうととにかく一瞬でも客がプレイしている瞬間が訪れた。この瞬間を逃すわけにもいかない。私は遠巻きに様子を眺めていた子ども達を見定め、こう声をかけた。

「参加する人はこちらに並んでください」

この言い回しには少しトリックを仕掛けた。目の前の子ども達はゲームをしようか悩んでいる。ここで店の人に「いらっしゃい」とか声かけられると客引きに必死な店員が引き込もうとする意志が出すぎてかえってやっぱやめようと尻込みする悪循環が生まれていると思った。なので、やるやらないの決断を迫るのではなく、すでにやる前提で、やる場合の行動を示すことにした。イメージはライブの入場整理。ライブ会場に来た人はその場でライブを見るかどうか決めるわけではない。もう見る前提で並ぶ列を探している。スタッフは勧誘ではなくただの交通整理として「最後尾はこちらです」と誘導するのみ。そうやってある意味では機械的に、無感情で、小学生が列に並ぶのを促した。小学生たちもやるやらないの決断をスキップされて、自然と受付に吸い寄せられてきた。「並ぶ」という言い回しも効果的で、暗に「繁盛している」=「人気がある」=「楽しそう」のような印象を与える。開始遺体一度も行列ができたこともないのに、白々しくも「並べ」というワードを使って、事後的に本当に行列の種を作りだしたのだ。

子ども達は列を見ると安心したようで、遠巻きに見る頭数が増える。ここが攻め時と、少し声のボリュームを大きくして「こちらに並んでください」「順番にね」「最後尾はこちらですよ」と視線が合った子ども達に右手を高く挙げてアピールし、左手で列を示してジャンジャン誘導していった。とにかく「並べ」というニュアンスのメッセージ発信に徹した。ひとたび列ができるとあとはもう楽なもので、薪の火を絶やさないように定期的に扇ぐような感じで緩やかに新規顧客を取り込むのみ。行列が長すぎても待ち時間を嫌って客足が途絶える。常に8~10人が並んでいるくらいの状態キープを心掛ける。こうなるももはや行列職人の域に達していた。最初は消極的だったほかのお母さんたちも、繁盛するとやる気スイッチが入って、プレーする子どもたちをどんどん盛り立てて、きゃあきゃあ歓声を上げるようになる。すると子ども達は次こそは特賞を、と意気込みリピート客が生まれる。お母さんたちに主体性が生まれ、それぞれが創意工夫でゲーム性に微調整を加えて面白さを加味する。杓子定規な対応だったのが息の合った連係プレーで客さばきが滑らかになり、回転率が上がる。寄せ集めだった保護者間にチームワークが生まれる。そうして気が付くとあれよあれよという間に用意していた景品がきれいに捌け、祭りの終了5分前に完売御礼の閉店。売上計算すると当初の計算とほぼほぼ狂いなく、のべ230名が遊んでくれた。出足30分のタイムロスを見事にカバーするコンビネーションでミッションをクリア。皆一様に充実した表情を浮かべていた。皆、客をさばくのに必死になっていて私が仕掛けたチームを機能させる小細工の存在に気づいた人はほとんどいない(ひとり、「あのおじさんのところにならんでね」と私の作戦に貢献してくれた人がいた)と思うけれど、一人自己満足に浸っている。


それにしても商売というのは面白いなと改めて思ったのだが、みんなが均等に1回ずつ遊ぶのではなくて、ごく数名のコアな客層が売り上げのかなりの割合を占めていた、ということ。小学生には申し訳ないけれど、ごく少数の中毒者を出してしまった。10回以上プレイして、商品がなくなってもやりたい、パーフェクトを出したいとお金を握りしめてやってくる子が数人いた。また入口の管理をしていると、「なにこれつまらなさそう」「何が楽しいのよ」と鼻白む子も一定数いた。感覚値では半分くらいの子には全く響かず、3割くらいの子が一見さん、残りの2割がリピーターで、うち5人がそんなに散在して大丈夫かと不安になる程度に重課金していた。なんでこんな商売が成り立つのよっていうものが世の中にはたくさんあるけれど、その裏側を見たなという感じ。あの5人の今後の人生を心配している。