un deux droit

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何をもって「仕事」と呼ぶか

珍しく会社の代表メールに問い合わせが来た。聞けば、業務効率化セミナーの問い合わせらしい。担当エリアの顧客だったので、記載の電話番号に折り返しの電話をかける。

「早速折り返しありがとうございます。」担当は女性だった。「ご要望の背景教えて」と尋ねると、担当者はこう答えた。

「女性社員は家庭と仕事の両立に大変な思いをしていて、業務効率化するヒントを得て少しでも助けになれば、と。」

うーん。これは筋が悪いぞ。ただでさえこの国の女性は既にいっぱいっぱいで働いている。そこにさらに効率化せよ、と負荷をかけたら破裂してしまうんじゃないだろうか。私は、差し出がましいとは思いながらも、率直にその懸念を伝えた。

「聴いた限りではもう目一杯女性は頑張っているように思います。もしかしたらパートナーを含めた男性がもっと配慮したり頑張って解決すべき問題なんじゃないでしょうか。このまま効率化のセミナーを実施すれば、もしかするとかえって女性の皆さんを追い詰めることになるかもしれませんよ」

担当者は、男性からそんな視点を提供されたことが一度もなかったようで「確かに今この環境の苦しみを自責で捉えすぎていたかもしれません」と応えてくれた。そしてそこから堰を切ったように想いが溢れ出してきた。

そもそもこの会社には女性が1割もおらず肩身の狭い思いをしてきたこと。職場に女性1人だと、困り事を周囲(男)に打ち上げ協力を仰ぐのがどうしても憚られること。とにかく今私含め女性社員は職場で皆孤立を感じていること。このセミナーをきっかけにバラバラの女性たちを繋いで仲間の存在を互いに感じたいこと。

あぁ、そういうことだったら、と、業務効率化セミナーよりずっと効果的なコンテンツをいくつか紹介した。ただ実施するだけでなく、担当者の思いが具現化した状態に近づくために有効な仕掛けのいくつかもアドバイスした。大いに感動され、「せめて単発の研修だけでも実施できればと思っていたけど、やはりしっかり通年のプロジェクトにしていきたいという気持ちを強くしたので引き続き知恵を貸してください」と力強く懇願されて電話を切った。

電話の余韻に浸りながら久々に仕事をしたなぁ、これこそが仕事だよなぁ、としみじみと感じた。最初の問合せにあったセミナーをただ納品するのと、しっかりとヒアリングを重ねて先方の希望する形のセミナーを納品するのとでは、売上自体に差はない。余計な思考を働かせず、注文の通りに商品を発注した方がむしろ効率よく捌けるだろう。けれどもそこに意味があるか、価値があるか、金が生きたか死んだかという点に大きな隔絶がある。仕事というのは気をつけないと「お金は儲かったが誰も幸せにしなかった」というグロテスクな代物に簡単に変貌してしまう。これからも腐りかけた仕事の鮮度を嗅ぎ分ける鼻が効く人間であり続けたいものだ。