un deux droit

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仕事の意味の拡大解釈

今年度はずいぶん好き勝手に生きてきた。本来の職務である営業を適当に放り投げ、サブ業務だった広報誌やWEB記事の執筆、セミナーや座談会の企画・教材づくりに夢中になって引きこもっていた。他人の作った商材、他人の作った企画、他人の作った提案書で仕事をすることに飽きを感じた。おそらく、在宅勤務が始まって営業活動に付随する無数の雑務(電車の時刻を調べる、レンタカーを予約する、効率良いルートを検討する、商談で使う資料を印刷する、雑談ネタを仕込む、スーツを着る、Yシャツをアイロンする、靴を磨くetc...)から解放されて、シンプルに「商談」だけがくり抜かれた結果、「これは自分にしかできない業務とは言えないな」と年度の早い段階で感じた。もはや土着の経験知が仕事をとってくる上で不可欠な要素とは言えないということを悟った。実際に、休眠顧客リストを東京で暇してる新卒にドサッと渡して、「好きにアポとっていいよ。成果も全部上げる」と丸投げしたらZoomで完結するアポイントでわさわさ仕事をとってきた。「こんな有望リスト本当にもらっちゃっていいんですか??東京の先輩方カスッカスのお客さんしかくれないんですけど」と驚いていたが、私はこれらの顧客がそれ以上の付加価値を期待される継続取引につながらないことを見越して明け渡した。つまり新卒でも納品できる低いレベルの要求しかよこしてこない。新卒にはそれでも経験値としては十分値打ちがあるが、そんな小銭稼ぎに自分
の貴重な時間を費やしたくなかった。もちろんそれを自分でやれば評価は多少なりとも上がるだろうけれど、BがA、AがSになったところでこの会社での昇格に多少の差がつくだけ。あくまで経営陣にとっての意味しか持たない。それよりも自分にとって意味の深いことに時間を使いたかった。自分が受け持ったのは単価も何度も高いプロジェクト案件だけ。それで予算を達成しつつ、余剰時間を自分の趣味的な提言を磨き上げることに集中投下した。
自分が書いた記事や開催したセミナーは人の集まりや評価もかなりまちまちで、社内外から賛否両論あった。難しすぎる、抽象的すぎる、という意見が半分。もう半分は挑戦的、刺激的、新鮮、斬新というもの。今まで当社が発信してきたメッセージの毛色とはかなり異なるため、一貫性を心配する現状維持派と、変化する意思を称賛する革新派に分かれた。澱をかき混ぜて論争を起こせたので試みは成功と言えるのではないか。そんな痛快な手ごたえを何度も味わうことができ、ずいぶん満足度の高い1年にできたと思う。
味を占めて4月以降の企画も順調に進んでいる。売れっ子の論客にオファーして対談にこぎつけたのだ。対談の様子はZoomで配信する。一回の平社員に過ぎない私が対等に討論する様は、自己顕示欲の塊みたいな取締役の不興を買うだろう。そして取締役がモデレーターでは引き出せなかったであろう白熱した議論を展開してますます歯噛みさせてやる。そんなことを想像してニヤニヤしている。仕事は与えられたものを遂行するより、自家発電して一から作る方がはるかに面白い。半年もすれば取締役があれこれ屁理屈をこねてこれらのおもちゃを私から取り上げてしまうような予感がしているので、悔いの残らないよう容赦なく暴れまわり、燃え尽きたい。

お題「#この1年の変化