un deux droit

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営業×育休のレクイエム

育休を取る上で障壁はなかったか?という質問をよくされる。ということは、大概のケースで育休取得には障壁が伴っている、ということなのだろう。その意味で言うと、私は育休が「取りやすかった」。なぜなら私は営業職だから。
業務の量が一定で、だれかが抜ければ他のだれかがその穴を埋めなければ回らない、というのが一般的な仕事だろう。しかし、私の仕事は違った。歩合制に近い成果主義の営業職。エリアで担当が分けられているものの、どの顧客にどれほどアプローチするか、あるいはしないか、ということは営業側の裁量に完全に委ねられている。顧客リストを満遍なく毎月一巡する、というような「定型」的な進め方はしない。目標金額があり、そこに到達しさえすれば、その内訳がどうなっていようと構わない。売ってきた商材に偏りがあろうがなかろうが、購買してくれた顧客の購買量に偏りがあろうがなかろうが、その内訳について評価が上がり下がりすることはない。あるのは売上高と粗利額。それだけ。
それでなぜ育休を取りやすかったのかというと、顧客を引き継いだところで引き継いだ営業担当の業務が増えるわけではないからだ。もちろん私の担当していた顧客から発注が来ることはある。そうなれば引き継いだ営業担当が元々持っていた顧客のうち有望度の低い順から訪問が遠ざかるだけである。つまり営業にとっては手札が入れ替わるだけ。総訪問量は変わらない。むしろ少ない労力でたくさん発注してくれる上客で手札を固められるため、予算達成が容易になる虫のいい環境ともいえる。
そうやって仕掛かりの案件があるなど、実績に繋がる上客だけを選り好みされ、それ以外の「ブタ札」は捨て置かれた。これが私の育休で起きたことの現実だ。育休から復帰した時には私のエリアは見事に耕作放棄地になっていた。私が育てていた顧客は前期に納品が完了する案件までしっかり刈り取られ、その後の種まき(次の需要の掘り起こしのための提案)は一切されていなかったのだ。自分の評価につながる案件は意気揚々と頑張るが、所詮私が復帰したら返すことになる期間限定の顧客である。私に担当が戻ってからしか納品できないような案件はそもそも提案すらしない。なぜなら本人のメリットにならないから。
まともな会社ならチーム全体の成績が個人評価に影響を与えたり、他者支援が行動評価として認められたり(逆に自分本位な振る舞いは低評価)するもんだが、肝心の査定をする監督者が私の顧客を引き継いだ上長だったので、上にはどうとでも報告し放題。私自身、自己都合で休んでいるので、「休ませてやってるだけありがたいと思え」という弱みを握られているような状態にあり、強く文句は言えなかった。第一、営業は水物なので、私が休んでてチェックできないのをいいことにアプローチをサボってるだろうと詰め寄ったところで「一生懸命頑張ったけど成果が出なかった」「相性が合わなくて」といくらでも言い逃れできてしまう。まさに「休んだもの負け」という惨状だった。
それだけならまだしも、復帰後にはさらに追い討ちをかける出来事が。「今仕掛かり案件が混みいっていて引き継ぐタイミングがない」と嘯いて、私の重要顧客は上長から返してもらえなかったのだ。血も涙もない。私は目標達成のコアとなる顧客を強奪され、一年近く関係の途絶えていた不毛顧客の開墾を余儀なくされて、復帰1年目は大きく成績を落とした。期中に上長の上長へ「さすがにひどいんちゃう」と直訴したが、「まぁ彼も君の穴を埋めようと頑張ってくれたのも事実ではあるし…」と事態の改善に消極的だった。いや、うちの営業ってそういう性質じゃないじゃん…強カードに手札入れ替えて左手うちわのくせして、面談の時に厚かましくも忙しいふりしてるだけなのに、そんな猿芝居も見抜けないのか…結局、男性が育休を取るなんてこと自体が自己責任ということか。私は失望の底に突き落とされた。

こういう卑しさは男性特有だと思うがどうなんだろう。少なくとも女性の営業職同士では「お互い様」という雰囲気で、自分の元顧客とピンチヒッター顧客を分け隔てなく扱い、円滑な復帰を助け合っているよあにみえる。事実として育休明けでもちゃんと成績を残して昇格につなげ、マミートラックを回避しているメンバーもいる。この辺は「女性活躍」がもっと進めば公正になるのかな、という淡い期待だけしておく。


一応ついでだから後日談も。パピートラックに陥った私は、真面目な営業であることからドロップアウトした。会社の売上に貢献しようとすることをやめ、自分自身の成長につながる案件だけを作ろうと決めた。簡単に受注できるが単価は安いような仕事はむしろどんどんクソ上長に押し付けた。上長は小銭稼ぎを喜んだ。そうやって要求レベルが高い顧客に的を絞り、私にしか回せないコンサル案件を複数作り上げた。
その状態で私は2人目の育休に入った。何が起きたか。それは「難しくて引き継げない」という事態だ。クソ上長の錆び付いたスキルでは太刀打ちできないくらいまで顧客を育ててやった。一部の顧客は「育休の合間でいいからあんどうさんにフォローを頼みたいという逆指名があり、また一部の顧客は「あんどうさんの育休中は内製で回してみます、また復帰したら面倒みてください」と送り出してくれた。
私が2回目の育休に入った年はチームの売上は大きく下がった。私の担当する顧客からの売上が下がったからだ。名目上は上司が担当していたことになっていたので、それは上司の営業力不足とみなされた。「育休者のフォローが…」と泣訴していたようだが、私の1回目の育休時には何も問題なかったのでその言い訳は通用しなかった。その後その上司は組織再編で部下なしの名ばかり管理職として私と無関係な場所に飛ばされていった。もちろん引き継ぐ側の私の責任も問われたが「いやまさかこの程度の仕事があの上司にこなせないとは、過剰に信頼していました。あなたが上司だったらこんなことにはならず、きっと同じクオリティで顧客のニーズに応えていただけたのでしょうが」と上司の上司に冷笑を浴びせた。これで私なりの復讐は足掛け5年で完成したのだった。

そして2回目の育休明けから3年経った今期、私のエリア単体で見れば過去最高益を記録した。現在の主要顧客はどれもあの耕作放棄地から育てたものばかりだ。よくここまで復元できたものだと感心している。いや、たぶん私が育休を取得していなかったなら、営業スタイルも、お金のいただき方も代わり映えしなかっただろう。育休の罰として、役職も給料も平社員のまま塩漬けされているけれど、後悔はしていない。私より職責の上の人がこっそりと「あの仕事の取り方教えて」と相談に来てくれることが日々の楽しみである。育休はきっかけに過ぎなかったけれど、私の仕事が生み出す価値を様変わりさせてくれた。営業職の方々に伝えたいのは、育休を取っても顧客を盗られないように全力で知恵を絞れ!ということ。皆さんの幸運を祈っている。