un deux droit

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白亜の城

おおよそ新居が完成してしまった。

7月中旬に引き渡しがあり、外構などを完成させて7月中に引っ越す予定。

ローンを組むときに想定していた出費以外に、クーラーやらテレビアンテナやらカーテンやら家電家具の新調やらでじゃんじゃかお金が出てゆき、現ナマをほとんど持たずして新生活を始めるような事態になってしまった。ここで夫婦どちらかが大病でも患おうものなら一発アウトだな‥そんなノーガード状態に陥っているのにもかかわらず、妻はあっけらかんとしている。

妻は本当にメンタルが鬼強い。いざとなれば崩せる個人年金やらなんやらをまだ数百万抱えている強み。それがなくとも取っ払いで稼げる副業スキルを持っているし、それでも首が回らなくなれば自己破産できる胆力も持ち合わせている。

妻はとにかく「失敗」というものをなんとも思っていない。「恥」の概念も薄い。あれがうまく行かなくなったらどうしよう、とか、起きてもいないことをあれこれと思い悩んだらしない。懸念はすみやかに対処する。対処しようもないことは考慮しない。考慮しようもないことが起きれば起きたときに最善の対処をするまで。だから何に役に立つかもわからない曖昧な保険を人生にかけていない。「あのね、ローン総額を見てビビってんのかもしれないけど、自分が払う分は半額だからね。そう考えたら余裕でしょ」そんなことを平然と言い放つ妻をカッコ良いと思う自分も相当頭がおかしいと思う。

リスクに怯えてやりたいことを躊躇するのは本当にもったいないことだ。どうせいつかは死ぬわけで、死んだら何も残らない。皆灰と化すだけ。ある意味「死」が段違いで最も恐ろしく、それ以外の諸々の行為はほとんど死に直結しない瑣末なことだ。その瑣末なことの行く末にあれこれと思い煩っている時間がもったいないと思う。石橋を叩きまくって歩いた手堅い人生にも容赦なく訪れる今際の際で、手堅く生きたことで何が得られただろうかと途方もなく虚しい気持ちになるなんて人生は一番避けたい。どうせ死ぬ人生を目一杯わがままに生きたと思って死にたい。なんだが、そんなやけっぱちな気分になっている。読んだことないけど『死ぬこと以外カスリ傷』とかどうせそんなこと書いてあるんだろうな。

そもそも論で言うと、いくら家を建てたいと思ったとて、そもそもローンの審査が通らず家を建てるというスタート地点にすら立たない人もゴロゴロいる。実際、家の打ち合わせをしている最中でも、同じタイミングで話を進めていた家庭で、審査が通らなかったとか、会社が潰れてローンの話が無しになったとか、離婚したとかそんな話が結構あった。そういう意味においてはとりあえず借金まみれであっても家を建てるというスタート地点に立つ経験ができたこと自体ありがたいことなのだと思う。精一杯ローンの返済という超長距離走を楽しんで生きていきたい。