un deux droit

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「賃貸vs持ち家」論争の終焉

ついに土地持ちになってしまった。(抵当権付きだけど)。35年○千万ローン人生の開幕である。私はつい1年くらい前まで筋金入りの賃貸派だったのに、それがいまやコテコテの長期ローンマイホーム派に転向してしまうのだから人生はわからない。

もともとなぜ賃貸派だったか。それは「ひとつの土地に縛られたくない」という思いからだった。東日本大震災もあった。九州では熊本で地震が起き、毎年のように九州全域で集中豪雨の被害を受けている。今生活している土地が、自分が老後を迎えたあとも現在と同様に生活可能な環境であるかなんてだれにもわからない。天変地異がなくとも、近隣の土地開発やお隣さんとの不和、子育て環境の変化、転職など、細々とした生活の変化は今後も絶え間なくあるだろう。少なくとも40年後も今と同じでないこと「だけは」分かりきっているのに、それでも土地を買い家を建てるのだから酔狂と言わざるを得ない。そう私は結論づけていた。

幸いにしてつつがなくローンを完済したとしても、果たしてそれで幸せだったのか、と自問する人間が同僚にいる。60歳を迎えてやっとローンを払い終えたマンションからは子どもが巣立っていき、夫婦二人だけにしては広すぎる空間を持て余し、古くて時代遅れな設備に辟易とし、大規模修繕について住民の足並みが揃わず、昔はハイソな感じがした小高い丘も高齢になった今となってはちょっとした起伏がじんわりとした苦痛となり、街からは子どもの嬌声が消えて徘徊するのは老人だけ…というオバサマの嘆きを長年聴いて過ごしてきた。理想としては、その変化の都度最適な住環境を求めて点々とする、という暮らしだよなぁとぼんやり思っていた。

心変わりしたのは、長女が年長になり、小学校に上がることが見えてきた段になってからのことだ。一旦小学校入ったらわざわざ転校しないよなぁ。そもそも子ども産まれた時点でもうどっちにせよほぼ場所固定じゃね?転々とすることができないなら「いつかの引越し」のために賃貸でいる意味なくね?という当たり前の事実に今更気がついたのだ。想像力ZERO。リスクのヘッジがかかっていない。子ども産まれた時点でもはやノーガードですよ。ということでどうせ移動できず家賃垂れ流しするくらいなら買っちゃったほうがいいよね、という結論に至った。

そこからハウスメーカーを色々行脚して理解した事実がある。「賃貸vs持ち家」のどちらが良いか、という論争があるが、家を購入できる(というかそのためにお金を貸してくれる)という状態がそもそもラグジュアリーな権利だということだ。我が家はダブルインカム(私の収入がしょぼいので1.5インカムくらいだが)だったのでギリギリ家と土地を購入できる金額のローンを組むことができたけれど、平均年収程度の片働きならそもそもローンの審査が降りなかったと思う。現に我が家の両隣の分譲地も、ローンの審査が降りずに商談が水に流れた、という話を何度か聞いた。賃貸か持ち家かを選べる権利をそもそも有してませんでした、という机上の空論パターンが意外と多い。俺は持ち家派だから多額のローン抱えてでも死に物狂いで働くぜ!と価値観を持っていたとしても、そもそもスタート地点にすら立てない可能性がある。これもまた当たり前の事実なのだろうけれど、世間知らずの私は自分ごとになるまで想像できなかった。
もう一つ知らなかった事実としては、戸建ての設備って賃貸のそれと全然グレード違うね、ということ。メーカーによっては新築マンションのそれとも違う。戸建てでしか販売されていない建材とか住宅設備とかがこれほどあるのか、ということは実際購入を決めるまで知らなかった。なにせ、メーカーによってはショールームに戸建て家主専用のフロアがあったりする。マンションでは間取りの制約上選択肢が限られるが、戸建ての場合、入れたい住宅設備に併せて間取りそのものをいじることができる。これもまたラグジュアリーな権利だなと感じた。

というわけで、持ち家と賃貸って並列で特徴や性質を比較できるものではなく、完全に上下の優劣があるなというのが私の感想。賃貸の上位互換がマンションで、その上位互換が一軒家。リスクも金額も倍々ゲーム。あとは総支出の中でどれだけ住宅にお金を使ってもかまわないか、という価値観の問題かなと思う。


今週のお題「引っ越し」