un deux droit

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本物の営業活動

今日も自分が推進している新規事業の営業活動。受注確度は半々だけど伝えられることは伝えきった。

自分で事業を興して初めて、営業というのは本来こんなにも疲れるものかということをまざまざと思い知らされる。

「どうかこの事業の価値に共感してもらいたい。この事業の価値を体験してもらいたい。」
心の底からそういう気持ちがあふれているので、説明に込める熱量がハンパない。
1年間仲間と練りに練ったアイディアだ。絶対形にしたい。自然と力がこもる。商談が終わるとかなり発汗している。テニスのシングルスを一試合やったような疲労感。
自分たちで考えたものだから当然どんな質問にも答えられるし、想定される懸念はほとんど潰している。他社と差別化してしているところ、こだわったポイント、想定されるリスクと対策などセールストークはいくらでもよどみなく口をついて出てくる。そのラリーが快感でもある。そうだよね、この展開だとそこに落としてくるよね。その球にはこういう切り返しを用意してるんだよ。そうなると打てる球はあれかこれしか無いよね。そうそう。あれならこう打って、これならああ打っておしまいなのよ。ゲームが思いのままに支配できている恍惚。あえての長尺のラリーも、アプローチ、ボレー、スマッシュと畳み掛けるのも自由自在。最後はこっちが勝つのだけれど、相手も相手の楽しめるラリーやポイントの取り方をお膳立てしながらもゲームを進行できる。ギャラリーも息を呑むようなナイスゲームを披露できる。こういうゾーンに入ったら営業活動自体がやりたくなって仕方がない。
大半の顧客に対しほぼ同じ売り文句を伝えているけれど、何度同じ話をしても全く飽きない。それはナダルやフェデラーに「ずっとサーブしてて飽きませんか」と問うているようなものだ。およそどのような営みであっても、反復の要素が介在しないものはない。同じ動作を繰り返すことを単調と感じるならば、そもそもそのスポーツが好きではないということだ。

それまでの営業活動は、大して魅力に感じていない商材を、なんとかのらりくらりとセールストークを重ねてねじ込むようなしみったれた商談ばかりだった。ロープレで叩き込んだ売り文句を機械的に再生するだけ。こんなの一回録音してテープ聞かせるだけでいいじゃんとすら思うやつだ。当然成約率も悪いので数こなすしかない。これまた肉体的に疲労はするのだが、そこには興奮も熱狂もない。ただ漫然と満喫の看板抱えて突っ立ってるような鈍い疲労感だ。

今まで数々の後輩の営業ロープレに付き合ってきたけれど、いくら小手先の技術を手際よく開陳できたところで、「これを売りたい」というピュアな熱望に叶うわけがない。どうしたらこの魅力が伝わるだろうかと、必死になって頭を使って試行錯誤を繰り返した営業トークは、定型文とは大いにかけ離れた、魂のこもった、唯一無二のライムだ。こんなもの容易にコピーできるはずがないではないか。最初は型から入っていくしかないのだろうけど、どこかの段階で「本当に売りたいもの」と出会わないと、本物の営業活動を体験することはできないのだと思う。会社が意欲的で、次から次と魅力的な商材を開発してくれたら本物の営業活動の領域に到達することができるのだが、当社のようにしょぼくれた会社ではそれが叶うことはなく、そもそもそんな領域が存在するということすら認識することができなかった。
たまたま自分で「本当に売りたいもの」を開発することができて、本物の営業活動とはこういうものかと味わう機会を自ら得ることになり、本当にラッキーだったと思う。営業活動に先天的な向き不向きはあまりなくて、波長の合う商材に出会えるかどうかということがまず大事なことなのだ。それを抜きにして営業メンバーの良し悪しを査定して、不必要に自己肯定感を高めたり低めたりさせている現状はどうにかしなければならない。同じ人間でも商材次第で営業活動はここまで変わるのか、ということを社内に知らしめることを頑張っていきたい。