un deux droit

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行動の底知れぬ効用

自分は昔から「モノづくり」はやらないが、「コトづくり」に関しては割と熱中してしまうところがある。
新しいサークルを作ったり、既存の組織の中に新たな機能を持たせたり、プロジェクトを立ち上げたり、イベントを開催したり、というものだ。形あるものではないので、名前を刻むことができるわけでもないのだが、言い出しっぺの「あんどう」の名前は立ち消えたまま、いつのまにか定着し、伝統になっている「コト」というものが、今まで携わった様々な集団や組織に息づいていたりするのを一人眺めるのが人生の趣味になっている。

今勤めている会社でも、昨年4月から自分が言い出しっぺになって、新規事業を立ち上げた。事業の概要は控えるが、BtoBしかやってこなかった当社で初めてのBtoBtoC領域への参入。1年間の売り上げは全社の0.5パーセント程度だけど、順調に契約顧客数が増え、周辺の既存事業への波及効果も生み出すことができた。会社もトライアル扱いだったこの取り組みを会社の公式の事業として認めざるを得なくなり、経営方針の発表に正式に盛り込まれた。

新規事業を立ち上げるうえで何をしたか。それはひと束の企画書、パワポを書き上げただけに過ぎない。まず自分の中でこんなことがやりたい、こんなことがお客さんに必要なんじゃないか、という思いの丈を書きなぐった。それを社内のいろんな人にプレゼンして回った。それを面白いと思ってくれた人とミーティングを開き、参加者の様々な視点を盛り込んでさらにその企画書を練り上げた。今度はその企画書を心あるお客さんに見せて回り、このサービスがローンチされたらあなたの会社は金を払いますか?と聞いて回った。こういう要素が盛り込まれていたら金出すよ、という意見をもらって、また社内でミーティングを開き、さらに企画書を練り上げた。そして今度は経営陣。事業計画、採算、潜在顧客のニーズ調査、競合比較と本事業の比較優位性などをまとめて提案。いろいろ粗はあるがとりあえずやってみたらということで、静観するという消極的な賛同を得られた。ここまでまだパワポのみ。しかしパワポのデータはver.10まで積みあがっていた。

経営陣から得られたのは消極的賛同だけなので、部署も予算も人員もあてがわれていない。私の既存の役割である営業としてのノルマは据え置きで、「課外活動」として進めることになった。ウェブサイトも作れない、パンフもない、システムも社内の既存サービスの使いまわしと無い無いづくしのなか、事業の設計がスタートした。

社内の人員はあまり使えないので、社外の個人事業主の人々と業務提携を結んだ。成功報酬型でやった分だけお支払い、みたいな形にして固定費をゼロにし、お客さんから先にお支払いをいただいて、その中から個人事業主に按分してお支払いすることで、赤字にならない構造にした。
これでとりあえずお客さんがお金を払ってくれたらサービスは提供できる、ミニマムサイズの「店舗」ができた。並行して、ブランドネームの選考、利用規約、個人事業主との業務提携契約、守秘義務契約、などビジネスとして最低限必要なこまごました書類仕事をやっつけることもした。ちなみに2023年2月時点で商標登録やロゴなどはまだ仕上がっていない。

とりあえず事業の立て付けだけは整ったのでいよいよ集客。ここもコストをかけられないので、社内の人脈だけを頼りに、社内の営業に対する営業をして回った。「こういうニーズがお客さんからあったらまずあんどうに声をかけて」「このweb商談に同席させて」「このパワポを見せて興味のありそうなお客さんいたら連絡ちょうだい」まさにどぶ板営業。いかに営業に負担が少なく、そして利益があるかを説いて回る。そうやって泥臭く、緩やかな賛同者を作って回った。その中から実際にお客さんに紹介してくれて契約に前向きな顧客が出てくると、なぜ顧客が関心を持ったのかの背景や、顧客が感じているニーズ、発注に至るまでの懸念、質問事項、受注を決定した決め手、サービスを使用しての感想など提案~受注後のフォローまでのプロセスをTeams内で細かく情報発信をした。営業が不安になったり億劫に感じるポイントをあらかじめ察知し、その箇所にパッチを当てることで商談イメージを具体化させ、営業が提案する機運を下げないようにした。見積もりのテンプレを整え、契約に至るまでの手仕事を代行し、営業の手間を省いた。

そうやってあの手この手を使い、営業からすれば提案さえすれば労せずして売り上げがついてくる「オイシイ」サービスにした。サービス利用後の顧客フォローで新たな商機につながる情報を収集し、営業に打ち返すことも怠らなかった。この辺は経営企画や商品開発の立場が企画したサービスとは違う、営業畑の自分ならではの視点だったと思う。営業に「上客」になってもらうために、徹底して営業を甘やかした。良い商品・良いサービスだからと言って、営業に居丈高になって押し付けたって絶対うまくいかない。営業は営業のノルマがある。様々な雑事にも追われる。そういう事情を無視してノルマをさらに増やし、それで売ってきたら売ってきたで手柄が開発者のものになるのだったら、なぜ営業が協力してやる義理があるのか。そういう人間心理を無視した人間が少なくとも当社の上層部にはあまりにも多い。

こんな感じで自分の発案した事業を、手塩にかけて育ててきた。経営陣の反応はいまだ鈍いのだが、ロゴデザインの発注にお金使っていいよ、とか、受発注のシステムを外注していいよ、といったお小遣い程度の投資はもらえるようになった。来期の自分の営業のノルマは半分になり、もう半分の役割をこの事業の推進としてあてがってもらえることになった。いまだ部署もないし、私は管理職でもないし、部下もいない状態で、社内の有志の業務時間外の協力で来期も進めるしかないのだけれど、お客さんの中でサービス名の認知が進んで商談の中で共通言語として使われている様子を見て、1年でここまで来たかと内心ほくそ笑む。そういう些細な手ごたえを栄養にして、へこたれずにやっていこうと思う。

ゼロイチで事業を作る、という経験をして興味深いなと思ったことは、自分がビジョナリーな人間であると周囲から見えているんだなぁと感じていること。自分にビジョンなんてない。ただ毎日の仕事が単調で退屈で、このままずっと同じことやっていてもうだつの上がらない人生だなと嫌気がさしただけだ。ただ行動を変え、それを習慣にしたら、周囲からすれば私にはさも「ビジョン」があって、その実現のために一心不乱に突き進んでいるように見えるらしい。するってーと、ありたい姿とか一々描いている暇があったらさっさを行動した方がいいのではないかと思えてくる。

ありたい姿だけ描いても行動や習慣を変えなければ何も意味はない。むしろありたい姿なんか描かなくとも、行動・習慣を変えれば「周囲から見て」望ましい姿・憧れる姿になる。これは面白い発見だった。結局人が求めてるのなんて周囲からどういう人物として認められたいかなのだから、それはビジョンを持つことではなく行動を変えることで手に入る。他人は人の行動を見て、その人のビジョンを勝手に補ってくれる。そして勝手にやる気になって、協力してくれる。この錯覚を利用しない手はないと思う。

もう一つ行動の利点がある。それは、行動を変えると視点が変わるということ。例えば行動をせず一つの位置にとどまっていたとする。するとその定位置からは障壁にしか見えないものがたくさんある。上司が許さないとか、家族が良く思わないとか、お客さんが興味持ってくれないとか。今の自分では何一つ乗り越えられない、八方塞がりな気持ちになる。でも行動して自分の位置を変えてみると、高くそびえたつ堅牢な城壁に見えていたものは、横から見るとただのハリボテだったりすることが案外ある。あるいは堅牢は堅牢なんだけど、近くまで寄ってみると案外抜け道があったりする。しかし、元の位置に戻り、遠くから、正面からもう一度壁を見てみると、やはり詰んでるように見える。これもまた面白い発見。ただその発見は、まず「動く」が先にあって、その場にとどまっていては絶対に解決策を見つけられない。

もう一つおまけ。人生の困難は主に人間関係にある。お金がない、資源がない、と「モノの制約」に見えるものも、見方を変えれば、お金を持っている「人」が投資をしてくれない、資源を持っている「人」が貸してくれない、と「ヒトの制約」だったりする。紙幣は発行できないし、原子を生成することはできないけれど、人の気持ちはいくらでも変わるし新たに生み出すことができる。そこの一つの可能性がある。ではどうすれば人の気持ちが変わるのか。それもやはり「行動」なのだ。人は一人で生きているわけではない。自分が行動を変えると周囲との人間関係や距離や影響する作用が変わり、異なる化学反応が生まれる。自分が行動を変えた影響は自分ひとりにしか起きないなんてことはない。望むと望まざるとに関わらず周囲の人間に多少なりとも影響を与えてしまうのだ。そうやって今まで隙がなく固定されていた部分にほころびが出て思わぬ可能性が拓けることがある。その意味でも行動すること、行動を変えることにはメリットしかない。そんな風に思っている。

別に行動をしたとて確実に大儲けできる保証も、100人の友達ができる保証もないんだけれど、生きてるなぁって手ごたえが確実にある。そしてそれが人生で案外大切なんだと思う。

さて、今日は何をしてやろうかな。



今週のお題「手づくり」