un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

コミュ力って双方向性のものだよね

昨日は白水大池公園に出向く。すると、長女が通っているピアノ教室の友達とばったり遭遇。夕方まで一緒に遊ぶことに。

友達の親御さんとは今まで接点がなく、先週あった発表会で軽く挨拶した程度。ただ、示し合わせたわけでもなく短期間に二度も顔を合わせるのは珍しいことなので、せっかくと思って色々話し込んだ。

聞けば、同じ市の違う小学校に通ってるのかと思いきや、住んでる街は隣町で、そこからわざわざ福岡市内の私立小に通わせているとのこと。ダボッとしたパーカーとカーゴパンツの出で立ちからあまり洗練された雰囲気は感じなかったのだが、自営業の社長さんだった。気さくな雰囲気、話はウイットに富んでいて語彙も豊富、子どもへの関与の仕方も温かみがある。「私立小」「社長」というラベルで私の眼鏡の色が変わっているだけかもしれないが、ほぼ初対面とは思えない、気のおけない間柄となって楽しくおしゃべりができた。

先日の勤め先の専務から「社内のメンバーに関与が足りない」と指摘をされ、俺ってそんなにコミュ障に見えてるのかなと気にしていた。しかし何のことはない、相手に話し合うに足る話題の引き出しの多さや、コミュニケーションを取っていて快適な程度の語彙や表現力、こっちの話に対する理解力があればいくらでも話は続くのだ。勤め先の同僚に知的好奇心をくすぐる人間が乏しく、わざわざ時間を割いてまでコミュニケーションを取りたいと思わないだけだった。

そんなことを妻につぶやくと、「今日の親御さんはあなたに知的好奇心をくすぐられたから会話が弾んだのではなくて、単に利害関係が発生したから労力を割いてコミュニケーションの扉を開いてくれただけよ。もし理解関係が発生してなくて、道端でばったりであっただけだったらあんなに話が弾むわけないじゃない。互いのコミュ力の波長とか関係ないから。」と混ぜっ返された。利害関係の空間に入っても話せない人と話せる人がいるねって話だったのだが、妻の理解力では難しい話だったのかもしれない。とりあえず妻とは話せないことだけは改めてわかった。