un deux droit

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5月、妻との生活が苦痛でしかなくなり、このままだと精神が壊れてしまう、という身の危険を感じていた。離婚届を持ち出すも妻に別れる気はなく、かといって自分に死ぬ勇気もない。八方塞りに思えて脳が爆発仕掛けた瞬間、自分が考えまいと頑丈に施錠していた部位の鍵が壊れた。もう徹底的に自分本位に生きよう、と。自分の幸福を最優先にして躊躇をしない。なんだ、自分の悩みはこんな簡単なことで解決するじゃないか。自分に課していた倫理観をぶっ飛ばすだけだったのだ。

私が最も満たされていなかった部分は、パートナーからの愛情だった。赤の他人がひとつ屋根の下で暮らし続けていくには、利害の一致だけではやっていけない。自分にとって負荷でしかなくても、相手の喜ぶ顔を見ることがそれを上回る幸せならば進んで自分を差し出せる。そうやって互いに互いを捧げあい、思いやりあって家庭というのは隙間なく組み上がっていくものだと思っていた。単なる利害関係だけでは、どちらも解決に気の進まない問題が発生したときに、どちらも取りに行かない。なぜならば、そこで自分が犠牲になることで相手を助けるという喜びに変換されないのだから。そうしてお互い取りこぼしたものが腐敗してゆく。そうしてより面倒になった問題に対してお前がやれよと不毛な押し付け合いになるのだ。そしてその部分は愛情ではなく良心を持っている私が全て拾うことになり、不公平感だけが増幅していた。

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