un deux droit

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中田敦彦とベクトルだけ一緒

あちこちオードリーにオリエンタルラジオがゲストで登場していた。流し見のつもりだったのに、あっちゃん(中田敦彦)の言葉が今の自分に刺さりすぎて、いつの間にか目が離せなくなった。そして、TVerで2週目を見てしまった。

オリエンタルラジオといえば吉本を退社して以来、地上波で見る機会がすっかり少なくなったが、YouTubeを根城にして自由に活動している。この番組でもテレビの世界やお笑い業界の歪みについて言いたい放題言っていた。

「いい子にしていればいつか自分の番(冠番組)が来ると思っていたかいつまでも来ない」

「ベルトコンベアがおかしなことになっている。(新陳代謝がされず)中間で廃棄されている。会長社長がいつまでも変わらず部長ばっかりが入れ替わってる感じ」

「(新陳代謝がされないせいで)30年前のお笑いが未だにオモロイと言われている。ビートルズが流行ったあとにマイケル・ジャクソンが出てきて、マイケル・ジャクソンのかっこよさはピートルズのそれとは全然違うから聴かないと言っているようなもん」

「面白いとはこういうことだ、ということを決めている組織がどこかにある」

(以上、あんどうの意訳)



いやー、一語一語がスマッシュヒット。

あっちゃんの問いかけは、ほとんどのビジネスパーソンが腹に抱えた怨嗟と同じではないだろうか。


自分自身、会社に言われた目標を甲斐甲斐しくこなしてご褒美としてのポジションがトリクルダウンしてくるのを舌を出して待っていたものの、いつまで経ってもそんなもの落ちてきやしなかった。時間の経過に組織の成長が追いつかず、上司の課長が課長になった年齢でも主任にすらなれず、部長になった年齢でようやく主任になった。こっちのほうが明らかに成績出しているのに、成績よりも社歴が何より大事。なんで10年違うだけで40才時点での年収が300万違うのよ。

そうやって年功序列の帳尻合わせのあおりをまともに食らって馬鹿馬鹿しくなった私は、自分で新しい事業を作ることを始めた。この会社を辞めたときに転職する際の足しになる成果を残したかったからだ。そしてその事業自体は、勤め先の会社が属している業界の常識を覆そうと画策する性質のものとなっている。今までのやり方を否定された、喧嘩を売られたと怒る顧客が現れるリスクもあった。

案の定、経営陣からは猛反発を食らった。自分の事業と競合する他社との業務提携を画策するような妨害もあった。それでもなんとかお客さんを捕まえて既成事実を作り、事後承認を取り付けて実効支配の体制構築は整えた。相変わらず孤独でいつ寝首をかかれるかとヒヤヒヤしているが、人生かけて勝負している手応えがある。

あっちゃんのやろうとしていることと比べて何億分の1のスケールやねんとは自分でも思うけれど、ベクトルの向きだけは重なっていると、ささやかながら励みになった。自分みたいな無謀な生き方は周囲に迷惑をかけているだけなんじゃないかと弱気になることがしばしばあるけれど、あっちゃんと比べたら自分なんてまだまだおとなしい方だと気が楽になった。



一つ、羨ましいなぁと思ったことがある。それは、常に彼の隣に「あっちゃんカッコイイ!」と鼓舞し続けてくれる男がいることだ。革命家の横には全肯定してくれる側近が欠かせない。