un deux droit

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オープンワールドはすぐそこに

子猫の譲渡会があるとのことで隣町の市民ホールにでかけた。譲渡会の規模が思ったよりもこじんまりとしたもので、30分ほどで手持ち無沙汰になってしまう。すると長女が、久々に児童館に行きたい、というので、隣接する児童館まで足を運ぶことに。

ここの施設は日祝でも空いているため、長女が小学校入る前まではよく行っていたのだが、プレイルームが小学生以上入場禁止のため足が遠のいていた。かれこれ2年ぶりくらいの再訪になる。

最後に訪れたときはボールプールからボールが撤去され、スポンジ性の大型ブロックも最小限の量に減らされていたが、今では完全復活を遂げていた。しかし完全復活と言っても、遊びものとしてはそれに加えてエアーズロック型のモニュメントがあるくらいで、訪れた児童はその3つをひたすら巡回することになる。ボールプールと言ってもお風呂を2倍にしたくらいの規模だし、一般的な子どもならせいぜい30分も遊べばいいほうだ。

その日も先客は5歳位の女の子ひとりとお母さん。GW真っ只中にこんな閑散としたところに来る家族なんかそうそういない。そんなことはお構いなしに、4歳の次女は一目散に駆け出して、久々のボールプールに勢いよくダイブ。キャッキャキャッキャとはしゃぐ。小2の長女は一旦折り紙などをして遠巻きに妹の姿を見ていたが、明らかに参戦したそうだったので、他の子が来るまで遊んでていいよと促し合流させる。(ちなみにその後訪れた子連れは皆無だった)

次女は先客の女の子に臆面なく話しかける。「これうごかしていい?」「〇〇をつくろうよ」「いま〇〇してるからまってて」「〇〇しないで」「〇〇あげるね」出逢って秒で仲良くなる様に「陽キャ…」と感動を覚える。

「あのことともだちになった」
「なまえは?」
「しらない」
どうも個人情報は聞かないし、知らせない主義らしい。現代人。先客の女の子からしきりに「ねぇなんさいなの?」「おなまえおしえて」とせがまれていたか「うふふ」とはぐらかしている。その女の子はどうしても個人情報が知りたいらしく、父親である私に、次女の名前と年齢を教えてくれとせがんてきた。次女はお父さんから教えてやってくれと言うので、隠したかったのではなくなんとなく恥じらいがあったみたいだ。名前と年齢を教えてやるとその女の子は大きく鼻を膨らませ、「〇〇ちゃん、こっちだよ〜」と一層距離が縮まったようだった。

次女と比べれば陰キャ気味の長女も、年下の女の子達のおままごとや、彼女らが考えた他愛もないゲームに「保護者」としてよく付き合ってくれて、心から楽しそうだった。3人ともプレイルームを縦横無尽に駆け回り、ほっぺたを赤くし、息をゼイゼイ切らしながら、2時間近くぶっ通しで遊び続けていた。

GWといえば渋滞に巻き込まれながら流行りのテーマパークや旅行先に行くというのが王道の過ごし方だろう。それは「自分を楽しませてくれる」ところに行ったり人に会ったりして楽しさを「消費」する行為だと思う。それらは巡回コースが決まっていて、次はこれを楽しんてください、これはこういう喜び方をしてください、とある程度の振り付けがなされている。それはそれで楽しいし私達家族ももちろん消費するし私なんかはむしろそういうもの(≒TVゲーム)ばかりをしてきたクチなのだが、子どもたちを見ていると、最小限の人と資源を与えられて、そこからどう楽しさを「生産」するかという知恵が働く人間って人生を楽しむ達人だなと思う。

昔はそれこそ力仕事や手先の器用さ、頭の良さのどれかがあれば世の中の仕事のどれかにはありつけた。これからは無から有を生み出す感性か、どんな人とでも即座に関係を築ける能力のどちらか、あるいはどちらもが求められる気がしている。というか今の自分がそういう状況にさらされている。自分がこの社会の変化についていけるかはわからないけれど、子どもたちは少なくとも安心だなと思っている。