un deux droit

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愛情の受け笊

沈黙は金、と昔からよく言うが、それはあくまで現実的な利得の話。利得に直結する「出世」というモチベーションが底を尽きた今、もはや言いたいことを我慢することの意味を見いだせなくなった私は、上層部に対しての批判的言動を繰り返して歯止めが利かなくなってきた。部長だろうが社長だろうが名誉会長だろうが、筋の通らない言動や意思決定については速やかに異議申し立てを行っている。それに対して煙に巻くような回答があったり、マウンティングしてどうにか封じ込めようと画策してきた暁にはその悪行をスクショで白日の下に晒し、電話や対面でねじ伏せようとしてきた時には証拠が残らないのでと拒絶する。そうやって一通り恥をかかせて面目を失わせてきた。私が悪いんでなくて、みんなが賛同するような判断・意思決定をことごとく外し、みんなが納得するような説明をことごとく省いている上層部が悪いのだ。呪うならばどうしても他人のために利益になることが思いつかない自分の頭の悪さと、どうしても他人のために利益になることを実行したくない底意地の悪さを呪いたまえ。

なんでそんな会社に居座り続けているのか、と自問した時、最近妻に言われた一言を思い出す。お前は自分自身の存在や意思を認めていないのだ、と。空虚でなんの欲望も見えてこない。何がお前にとって利益だと思うからその発言をしたのかという意図や、その行動をしたのかという原理が見えてこない。他人の利益になることをしても、何の感情も動いていない。ただマシーンのように家事をし子育てをし会話のサンドバックになっていると。その原因の半分は妻なんだけど、もう半分は生育環境のためかもしれない。僻地の生まれで、おもちゃを買ってもらったりおやつをかってもらったりという欲求を容易に満たすことができない環境が子供の時分には辛すぎて、何か欲求を持つという機能そのものを早い段階で封じてきた。だから自分自身を大切にする術が思いつかないのだと思う。

自分を大切にする具体的な術を封じた私は、自分を大切にされない攻撃を受けたときに過剰に攻撃的になった。そもそも満たされていない、飢えた状態を耐えているのだ。それなのになぜ私腹を肥やすお前らが、何も得ていない私からさらに奪うのか?、と。だかた軽々しく私のアイディアを邪険にされたり、功績を鼻であしらわれたり、扱いを軽んじられたりすると怨嗟の感情に支配される。プラスになるものはいらない。それの喜びはわからない。でもマイナスの苦痛は耐えがたい。自分の欲求を満たすことで多少のことでは傷つかないシールドというものが普通の人には形成されていて、私にはないので心無い攻撃がそのまんまダメージになる。だからくれぐれも取り扱いは丁重に。ちやほやしても何の反応もないのに、ちょっと配慮に欠ける言動をすると死に物狂いで詰めてくる。自己愛が強いのか弱いのか他人にはまるで意味不明だろう。自己愛は強いが自尊心の上限がゼロなだけなのだ。だからほんの少しでもマイナスを食らうとバーサクモードに突入してしまうだけなんだ。ほんとごめんねめんどくさくて。

愛される、好かれるということが信じられなくて、愛情を受けても束の間喜ぶがすぐに風化して、持続しない。今手掛けている事業が全国に知れ渡るようになれば、離れて久しい故郷にも顔向けできて、おらが村の誇りみたいな形で自分の存在証明にでもなるかなと思っていたけど、そんなレベルまで事業が成長した時にはもう自分の手から離れて自分の功績だと思えなくなってしまっているんだろうな。