un deux droit

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長子は自由回答がお嫌い

長女(小2)は国語の自由回答が苦手だ。

「このとき〇〇ちゃんはどのような気持ちになったでしょう?」的な設問で、解答欄が余白多めのボックスになっているような類のやつである。

答えが一つだけの、選択型一問一答形式ならよどみなく回答できるのだが、回答者本人の主観を問うような、人の数だけ答え方があるようなものに直面すると、途端にフリーズする。そんな問題が、昨日学校から配られた宿題に紛れ込んでいた。


長女がその設問に苦戦する様を妻は気に入らないらしく「何でもいいんだから好きに書け、早くしろ、なんでも正解なのに何が難しいの」とガン詰めする。案の定、長女はまた態度を頑なにして貝のように黙り、次第にメソメソと泣き出すのだ。

埒が明かないので私が助け船を出す。
「〇〇ちゃんがなりそうな気持ちを3つ書いてください。」
そうやって、補助の問題を差し出す。メモ用紙に3つの空欄を書いて、長女に差し出す。すると、おずおずと空欄を埋めだす。

こんな感じで、この問題は回答が複数あり、どの一つをとっても不完全である、というフレームを作るのだ。

次に、「あなたが書いた3つの感想で好きなものに丸をつけてください」と促す。すると、なんの躊躇もなくその内の一つに丸をつける。

最後に、「丸をつけた答えを、宿題プリントの答えに書き写してください」と促したら、はい完成。

問題と回答の間にサブの問題を挟み、得意な問題の形に読み替えてあげるとすんなり解決する。苦手なのは問題そのものではない。問題解決プロセスの方なのだ。

物事に自由な感想を持つ、というのは人によってはとてつもなく難しく感じる作業だ。私も小学生時代の読書感想文は地獄だった。こうやってブログで1000件も駄文を書き連ねてはじめて、主観を出力するという行為に抵抗がないという境地に辿り着いた。自分も幼少期にこんな補助線を引いてもらいたかったなぁ。感想は一つに統合できない。往々にしていくつかの捉え方に分散され、どれ1つをとっても「私の感想」としては不全感がある。そしてその感想のカケラのそれぞれが矛盾したりする。その全てを余すところなく使ってこそ、その人の唯一無二の感想と言えるのだが、そんなことがわかるのはもっと先でいい。