un deux droit

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私たちはどのみち出世できない

昨日、「星降る夜に」の録画を再生し、吉高由里子かわえ~とメロメロしていたらスマホが振動。何じゃこのクソ忙しいときにと思いながら視線をスマホに移すと、前に取材を受けた新聞記者から久々のメール。岸田首相がプチ炎上していた「育休中のリスキリング支援」の是非について男性育休経験者の立場から見解を聞かせてほしい、との要望だった。以前取材に応じたときの記事がyahoo!のトップを飾ったことがあり、味を占めたのかもしれない。あまりタイムリーな話題ではないし、件の国会のやり取りは「バカだなー」くらいにしか思ってなかったのだが、こうやって正式に他人から意見を聞かれることも滅多にあることではないので、頭の体操ついでに二つ返事で引き受けた。
とはいえ取材のときにはどうせ言いたいことの1割も言えないのだろうから、あけすけな本心をここに書き記しておく。



ちなみに発端となった、大家敏志議員の1月27日の代表質問を該当部分だけ引用。

岸田総理、ぜひともご検討いただきたい新しいリスキリング案を、私からお示しいたします。

子育てのための産休・育休を取りにくい理由の一つが、一定期間仕事を休むことで昇進・昇給で同期から遅れを取ることだと言われてきました。しかし、この懸念を乗り越えるために、産休・育休の期間にリスキリングによって、一定のスキルを身につけたり、学位を取ったりする方々を支援できれば、子育てをしながらもキャリアの停滞を最小限にしたり、逆にキャリアアップが可能になることも考えられます。

大胆なこども政策を検討する中で、たとえば、このような方々への応援として、リスキリングと産休・育休を結び付けて、産休・育休中の親にリスキリング支援を行う企業に対して、国が一定の支援を行うなど、親が元気と勇気をもらい、子育てにも仕事にも前向きになるという、2重・3重にボトルネックを突破できる政策が考えられるのではないでしょうか。

この政策によって、結婚・育児期に女性の就業率が低下するいわゆる「M字カーブ」や、出産時に退職、または働き方を変えて、育児後は非正規で働くようになる、いわゆる「L字カーブ」の解消にも資するものだと考えます。

今ある仕事が、近い将来、AIに取って代わられることも予想され、私たちのキャリアにとって、リスキリングが「当たり前」になる時代が来る中、私が提案したような、リスキリング支援メニューの拡充が必要になるのではないかと思いますが、総理のお考えをお伺いいたします。


「産休育休で一定期間休むと出世に響く→産休育休中リスキリングしたらキャリアの停滞が防げる→キャリアの停滞への懸念が減れば子どもを産むことに躊躇がなくなる→産休育休中のリスキリングを支援したら子どもが増える」という頭のくらくらする話が矢継ぎ早に繰り広げられ、もうどこから手を付けたらいいのかわからない。わからないので最初から順を追って解きほぐしていく。

産休育休で一定期間休むと出世に響くのか

出世、という言葉の意味を昇給昇格のこととみなすならば、一定期間休むことは間違いなく昇給昇格に負の影響をもたらす。しかし、休まなかったからと言って昇給昇格が保証されるわけではない。ここがミソ。昇給昇格を順調に果たすうえで「休まない」ということは必要条件だが十分条件ではない。休んだら確実に昇格リストから外れるが、休まなかったからと言って昇格リストに残り続ける保証はない。
昇給昇格は他人が自分を評価する営みである。人が人を評価する以上、そこには主観が混ざる。どれだけ精緻な人事制度を確立したとて、運用するのは人である。そこに恣意性を排除することは不可能である。上司は評価することだけを仕事にしているのなら別だが、もうほとんどがプレイングマネージャーである。自分が抱えているメイン業務がある。その業務の遂行に有益な人材を日がな観察している。一緒に仕事していてこいつは使えるなとなれば、上司はその部下を、より自分が動かしやすいポジションへと抜擢しようとする。そしてその抜擢をする上できちんと人事制度に則っている必要があるから、昇格の条件を満たすように評価をつける。部下の立場にいれば、まず自分の職務があり、その職務遂行に対する評価があり、その評価に応じて昇格が決まると思いがちだが現実の順番は正反対だ。まず昇格する人間を決め、昇格できるように評価を定め、その評価となるように職務を決める。すべては後付けなのだ。上司があてもなくふらふらと「誰をこのポジションにつけようかなぁ」なんて急に思いつき、そこから期末査定表を見て、その中で評価の高い人間を昇格させるなんてことが起こるわけがない。なぜならば、評価して昇格させて終わりじゃなく、その後にその部下との実際の仕事があるからだ。昇格させた後はより綿密にコミュニケーションをとる必要がある。会議も増える。そこで気心の知れた人間じゃないと何かとやりにくい。ただ期末の査定でS評価だという理由だけで人となりの何もわからない人間と翌年度円滑に仕事を進められる、なんてサイボーグみたいな人間はいない。評価の高い順で機械的に昇格させていたら上司が思い描くチームは永久に完成しない。上司なりのチームに不可欠な要素がいくつかあって、その要素を複数の部下の特性を組み合わせて補うのだ。
と、上司の視点から昇給昇格を見ると、上司にとって使いやすい手駒をそろえる営みでしかないので、必然的に自分の思い通りに動かせる人間を登用することになる。自分が招集したり指示を出したときに、家庭の事情を持ち込まれて断られると計算が狂うのだ。そのランダム要素はできるだけ排したい。そうやって家庭の事情が無い者、家庭の事情があっても仕事を躊躇なく優先できる者が重宝され、その中から優秀な者が登用される。融通が先、能力は後。この残酷な現実はなかなか強情である。

余談だが、今年、勤め先の会社で人事制度が変わった。総合職のほかに、フレックス社員という区分ができ、フレックス社員の区分を選べば勤務時間や勤務日数、在宅勤務日数の上限といった制約はなくなる。フレックス社員を選んだことによって給料が減額されることはなく、日数や時間を減らした分が割り引かれるだけ。フルタイムで全在宅勤務を選べば給料は1円も変わらない。ただし「課長職以上」への昇格の対象からは除外される、そう明文化されている。
最初、労働組合が「フレックス社員という身分を選んだという理由だけで、本人の資質に関係なく昇格対象から外れるのは合理的ではない」と批判していたが、人事と議論を進めていくうちに、「あれ、そもそも総合職の身分を維持したとてほとんど課長職以上になる見込み無いんじゃね」ということに執行部が気付き始めた。課長職に上がるための条件を人事と確認したところ、「2年連続A評価」かつ「上司の推薦」があり、「1年間の課長職試用期間」と「年数回の管理職教育」を経て「役員面談」にたどり着き、そこで承認されたものが課長になれるらしい、ということがわかったのだ。昇格基準の中に業務上の必要性などは一切考慮されていない。一度A評価を取り逃したら、課長になるにはそこから最短でも3年かかる。気が遠くなるわ。誰かが「ヤクザが親分の代わりに刑務所入ったら刑期終えたとき幹部になる、みたいなのに似てますね」とつぶやいた。こんな露骨に誰かにゴマすり続けないとできない出世なんか最初からいらんわ、とフレックス社員への区分変更が殺到し、また退職者も増えた。経営陣は人事制度に込めた思想の転換を迫られている。

産休育休中リスキリングしたらキャリアの停滞が防げるのか

笑い話はこの辺にしておいて、上記の理由からリスキリングはキャリアの停滞に効力がないと考えている。融通が利かない時点でスキルが高かろうが低かろうが上司の眼中にない。少なくとも産休育休を取得した勤め先での出世にはつながらない。転職ありきでリスキリングをするならまだ理解できるけど、育児中にリスキリングをできる人などほとんどいないということは世のお母さんお父さんが死ぬほど叫んだのでここでは割愛する。

子どもを産むことに躊躇がなくなるくらい、キャリアの停滞への懸念が減らせるのか

この点も甚だ疑問である。勤め先で、手早く課長になってから産休育休を取る、という戦略をとって役職と子どもを両取りした女性がいる。いったん課長にしてしまったら育休取ったことを理由にして降格させるのは明らかに不利益変更になるから会社も静観するしかない。傍目で見て「わー賢い」と思ったのだが、育休から復帰したその女性を数年観察していると、今ではあまり賢い選択ではなかったように思っている。
というのも、管理職会議が月に何度もあり、それは決まって就業時間後なのだ。子どもは容赦なく小さい。もちろん風邪を引いたりなんだりというトラブルは課長の子どもだからといって加減してもらえるわけではない。必然、会議への参加ができないことが続き、風当たりも強くなり、遅れを挽回しようと無理をする。そして体調を崩す。そんな悪循環を数年繰り返していた。ほんと死んでしまうんじゃないかと心配になるくらいやせ細り血色が悪かった。そこまでして維持した課長職だが、結局課長職どまりでそれ以上のキャリアには進んでいない。死に物狂いで手に入れたキャリアにしがみついても、結局停滞してしまうことには変わりない。この課長は課長職をゲットしたことでキャリア停滞の懸念が払拭されて子どもを産んだ。しかしそこからは結局停滞した。そして第2子は生まれていない。同じタイミングで昇格した男どもは次のステップに進んでるし、パートナーに育児を押し付けてポコポコ子どもを産ませている。なんて不公平だろう。結局彼女はキャリアも家庭も中途半端な状態で宙づりになった。結局女性というだけで子どもを抱えたらキャリアは停滞する。そんな様子を見た後輩女性社員たちは出世をあきらめてマミートラックに突入するか、子どもを持たない選択をしている。

産休育休中のリスキリングを支援しても子どもは増えない

ここまで長々と書いたが、結論としてはこれだけ。産休育休のリスキリングはそもそも現実的でないけれど、できたとて、リスキリングとキャリアの停滞阻止は接続しない。停滞への懸念がぬぐえない以上子どもを産むことに対する躊躇はなくならない。そして幼い子どもを抱えて育児をもっぱら担っている状態で出世しても日々の暮らしは全く幸せではない。今より能力高めてはじめてもう少し賃金高くしてやってもいいよなんて意地悪なこと言ってないで、今の仕事の内容と質と量のまま据え置きで、もっと給料払えよ。それだけ。国が圧をかけるのは個人でなくて企業でしょ。法人税をもっと集めて子育て家庭に現物給付という形でもいいし、最低賃金上げたり派遣法見直したりして安く人を雇えないようにしていく。そこから逃げてちゃだめだよね。

仕事の目標は出世であるべきなのか

最後の余談。大家議員がそもそも出世をあらまほしき事と信じて疑っていないようなのが少し引っかかる。多分そんなにいいものではないと思う。勤め先の管理職や幹部がやっている仕事のほとんどは仕事の割り振りである。仕事が多すぎて自らの手で何か価値を産出する暇がない。これは男でも女でも関係ない。現場第一線のプレーヤーだった時に見せていた営業の手腕や企画の練度に惚れ惚れする先輩社員は何人かいたが、偉くなってから彼らの卓越した仕事っぷりを拝見することは本当になくなった。そういう仕事の相談をしても複雑な表情を浮かべて「今の私にはちょっと難しいかな」と言って他の人にたらい回される。その表情には、「あんどうが持ってきたこの仕事に嬉々として没頭できない」という苦悶の色が浮かんでいる。多少の給料の差はあるとて税引き後の手取りを比べれば、そんなに莫大な差はない。その差分の対価として失う仕事の面白さがあまりに大きすぎるのではないかと思う。

仕事に何を求めるべきか。金なのか。それとも名誉なのか。自分は仕事そのものを求めるべきだと思っている。昔「仕事の報酬は仕事」というフレーズを聞いて、なんて地獄みたいなことを言う人が世にいるのかと思ったものだが、最近は少しわかりかけてきている。会社から頼まれたわけでもないのに勝手に新規事業を構想し、ゲリラ的に事業の立て付けをこしらえて顧客へと展開し、それなりの売り上げを出して会社の追認を迫るというむちゃくちゃを1年間やってきてみて、
肚さえくくれば出世しなくてもできることはたくさんあるなと実感している。評価されることを完全に放棄する。それでも意外としばらくはやっていける。

評価されたいという気持ち自体は死ぬほどわかる。しかし人からの評価が一番どうにもならない。他人を変えることはめちゃくちゃ難しい。価値観も思惑もまるで異なるのに、自分の思う通りに自分を評価してくれなんてそもそも高望みが過ぎるのだ。なかなか自分を評価してくれない人から評価されることにやきもちして、一喜一憂している時間はもったいない。それでもどうしても評価されることが諦めきれない人は、評価してくれる人の判断を変えるより、評価してくれる人自体を入れ替える、つまりさっさと転職した方がいいと思います。


前にyahoo!トップに実名載ったときのエピソード
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