un deux droit

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凶報から一夜明けて

安倍さんの死。一月も違わずして亡くなった小田嶋隆さんがまだ生きていたら、この凶報をどのように評するだろうか。昨日はそんなことをぼんやりと考えていた。




私はよせばいいのに銃撃の瞬間の動画などを開いてしまって吐き気を催した。怒りに震え憤りもした。至極動物的な反応だったと思う。群れの動物が襲撃された際に外敵に示す威嚇反応。全く冷静さを欠いていた。社会的動物としてぬるま湯に浸かり切った人間は見るもんじゃないと思う。

普段インスタしか見ない妻は、20時を過ぎてももちろんこの事件のことを知らず、ヨガに勤しんでいた。私が吐き気を堪えながらスマホのスクロールを止められずにいると、その振る舞いを訝しむ目で見てきた。浮気でもしてるのかと。私は半ば言い訳のように「安倍さんが亡くなったんだって。選挙の応援演説中に銃撃。」と伝えた。すると妻は「なんてドラマチックな人生なのかしら」と驚いた。その反応に、おお、最初の感想がそれなのか、と私が驚いてしまった。ひょっとしたらこれが正常な人間の反応なのかもしれない。あまりニュースを追いかけてのめり込みすぎているのかもしれない。今日は妻の態度が正しい。落ち着いて日常を過ごそう。



少し冷静になって昨日の出来事を俯瞰してみると無理矢理別の見方もできるかなという余裕ができてきた。
唐突に人生を奪われることは、一人の人間として絶望以外の何物でもないと思う。ただ彼を日本史の登場人物として見た時に、「政治家安倍晋三の終焉」としてはこれ以上ないセンセーショナルな幕引きだったのではないだろうか。


例えば私はケネディのことをよく知らない。大統領史上初めてのカトリック教徒だったこと。キューバ危機を乗り越えたこと。アポロ計画、そしてダラスでの暗殺くらいだ。しかし名前だけはやはり強烈な印象を残している。それはやはり暗殺というショッキングな出来事が大きな原因を占めていると思う。(ケネディの前の大統領も後の大統領も知らない。カーターかなと思ったら違った)

彼にも失策があっただろうし、スキャンダルもあったはずなのだ。でもその知識は私にはない(Wikipediaを見てちょっと驚いた。マリリンモンロー??)。おそらく彼の死後、それなりに英雄視、神格化が自然な形で広まったのだろうと推察する。そうして彼の功績はやや誇張気味に、彼の不祥事はやや控えめに、彼の存在そのものは強烈に、後世へと継承されてきたはずだ。


おそらく安倍晋三というアイコンは、放っておけばケネディと同じ道を辿ると思う。それは彼の政治家人生に取ってみれば、「してやったり」といったところではないだろうか。あれだけ権力を私物化した事件が明るみになったのに、終ぞその責任を取らずに逃げおおせた。そして「暗殺」による神格化によって、その負の側面はどこまでも矮小化されてしまうだろう。

彼の政治家人生に残るはずだった傷は、少なくとも生前の段階では何一つ付かなかった。「死んじまったんだからもう勘弁してやれよ」と自民党幹部からのつぶやきが聞こえてきそうだし、死者に鞭打つような格好になって居心地の悪い感じがするけれども、哀悼は哀悼、真相究明は真相究明、政策評価は政策評価として全てを別個のものとして切り分けて、粛々と意味づけをしたいと思う。

私にとって彼は、「法のもとの平等」という建前に対する信憑を著しく毀損した人物であることには変わりない。この社会は、事実の有無や客観的合理的な指標ではなく、縁故の遠近によって、犯罪の成否が異なったり、罪の軽重が移ろったり、合否の結果が変わったりする。結局世の中コネなのね、と多くの人に思わさせた。世の中なんでもフェアではない、ということなんかは薄々みんなわかっている。けれどもあれほど露骨にあからさまに悪びれもせずに無理筋を通されてしまっては、建前の立場がないではないか。彼の一連の行為によって諦念を蔓延らせ、沈滞した空気を醸成した罪はあまりに大きく、社会が被った損害は計り知れない。あくまで私はそのように主張したいと思う。