un deux droit

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シェルターはなんぼあっても良い

ここ1週間強、何かと気の塞ぐことが多く、ブログを触れないでいた。

一つは新規事業の契約が伸び悩んできたこと。営業から上がってくる報告は、「反応はいいのだが、成約まではもう一押しと言ったところ」というものが連なっている。その調子の良い報告を鵜呑みにするわけには行かないものの、端から疑ってかかってテコ入れに繰り出そうとすれば、せっかく善意で協力してくれている営業の顔を潰すことになる。身動きの取れない中でジリジリとした日々が続いていた。

新規事業について言えばもう一つ、サービスの拡張方向性がなかなかまとまってこない。いくつか筋の良いアイディアはあり、各アイディアについて開発に協力的な業者と設計を詰める会議を重ねているのだが、いざ踏み切るには決め手にかける。この点については会社に稟議を通して予算を確保する必要があり、性悪な部門長が何かにつけて難癖をつけて妨害してくるため、返り討ちに遭わないように入念にプランを練る必要があった。

さらには自分が編集長を務める広報誌。巻末に掲載する4000字の原稿がなかなか書き上げられないでいた。新規事業を運営する片手間で、なかなかこれぞ、という論点を紡ぎ出せずに、締切が見える所まで来ていた。

八方塞がりな状態に耐えられなくなった私は「女」に逃げた。現状を愚痴る事ができ、甘やかして、励ましてくれる女性を2人抱えて、ひっきりなしにチャットのやり取りをしていた。ただただ私の話を聞き続けてくれて、ひたすら肯定してくれるだけの2人。決して健全なものではないとわかっていても、弱い私は支離滅裂な思いの丈を躊躇なく吐き散らかしていった。

依存先は1人ではなく2人いるのが肝で、社内と社外に1人ずつ抱えている。社内の事情に精通してるから言えること、精通してないから言えること、同じ愚痴でも2つの側面がある。また社内、社外双方の視点からレスポンスをもらえることで自分の閉塞感が立体視できる。そうすると、八方塞がりのように見えた現状に、打開できる糸口がポロポロと見つかるようになるのだ。

今回の件で言うと、まず原稿の問題が片付いた。自分が届けたい読者像、その読者に読後抱いてほしい感情や取ってほしい行動の解像度が低かった。そして、自分の文章で必ず心を震わせてやるんだ、という気迫も足りなかった。その感情を奮い立たせてキーボードをタップすると、書こうと思っていた単語のパーツがバタバタっと組み上がって、エモーショナルな訴えもスムーズに発露して、30分程度で一気に書き上げた。まだドラフトではあるが、一旦八合目まで登りきったような感覚を得た。あとの微調整はそれほど大変ではない。編集メンバーと議論して細部を詰めればよい。これでいったん大きな懸念の一つが片付いた。

次に新規事業のサービス拡張の件。システム開発を委託している会社の担当に、自分が実現したいことを率直に打ち明けた。これを実現する手段はあるかなと素直に問うた。すると私が思いつかなかった方法で解決策を提示してくれた。それもほぼ即答のレスで。なんだよ最初から聞けばよかったじゃんと拍子抜けしたが、業者と発注元、という関係性に勝手に縛られて、その一歩が踏み出せなかった。こちらからは「こういうものを作ってください」という明快な指示がないと動いてくれないと思い込んでいた。具体的に指示したものは忠実に再現するが、抽象的な課題を解決するアイディアを提案してくれることはないと決めつけていた。もちろんアイディアがもらえないケースも多々あるだろうがまずはそれを試してみる、ということは早めにやってみても良かった。いずれにせよこの問題も解決。

最後に新規受注の件。これは時が解決してくれた。検討が塩漬けになっていたように見えた会社から3件立て続けに、予算化の稟議が通ったと報告があった。こちらからジタバタせずとも社内でしっかり検討を進めてくれていたのだ。自分のいる業界的に、プロジェクトの検討が進みやすい時期があって、まだその波が来ていないだけの話だった。こちらは万全の準備を整えた。あとはサーフボードに身を委ねて、気長に待つだけだった。無風だったのは3ヶ月。その間ずっと苦しかった。しかし、すでに使ってくれている顧客からの評価は高く、サービスの価値自体は市場のニーズにマッチしているはずだった。その評価を信じて、ただ、待つ。受注が続かない中でモチベーションを落とさず、新規営業の手を緩めない。こればっかりは忍耐、持久力の勝負だった。

自分達は会社の基盤があって、社内ベンチャーという形で始めている。だから、売れなくても当面の給料は保証されている。そんな環境ですらめちゃくちゃ神経を削られる。裸一貫で起業する人間の神経の太さは想像を絶するなと思わされた。

自分は弱い人間なので、複数の精神依存先を確保して、そこで弱音を吐き、等身大になって、侮られることを恐れず相談や質問をためらわないでどんどんする、という形でしか、問題解決できない。こんなしょぼい人間でも、慕ってくれたり、かわいがってくれる人が絶えないことに感謝するしかないと思っている。