un deux droit

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北国メソッドの足枷

今日は鍋の締めにうどんを入れることの是非について2時間の口論。

締めはお雑炊以外あり得ないという妻の主張に対し、鍋スープのおすすめで書かれている締め方がそこまでダメだしされるほど珍奇な好意であるはずがないというわたしの主張が真っ向から対立した。絶望的な平行線。

不毛な議論を経てなんとか見出した着地点は、妻は満足を得ること、私は不満足を避けることを希求しているという違いがある、ということ。

満足は個人差があり、丁寧なヒアリングが不可欠だし、それを叶える手段があるかどうかは不確定だ。

けれども不満足の回避はある程度文化的な共通認識から逸脱しなければ実現可能で、それを叶える手段についても、ルール化されるくらいだから当然比較的調達が用意なものと相場が決まっている。

妻は物質的、精神的に豊かな九州育ち、私は物質的、精神的に貧しい北海道育ち、という違いから、諸々の行為における動機の基本線が著しく異なる。
いくら今九州で暮らしていようとも、幼少期から培った行動規範はなかなか変えることが難しい。