un deux droit

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雨降って地ぬかるむ

昨日出ていった妻は深夜一時に戻ってきて、そこから朝まで生テレビよろしく午前七時まで口論。途中何度も妻の発狂がご町内に響き渡り大変ご迷惑おかけしました。四時過ぎから互いに思考の巡りが悪くなり、論点の噛み合わない不毛な議論を続けた。

長女が起きてきて一時休戦。妻は寝室に消えていった。私は徹夜明けの弁当作成を終えて学童に行く長女を見送る。その後、次女を起こして保育園まで連れていき、そのまま朝マックへ。妻の棲まう家へ直帰したくなかった。

朦朧とする意識の中手帳を取り出し、エッグマックマフィンを頬張りながら論点の整理を行う。何度か意識が飛んだが、どうにか思考がまとまった。家に戻り、また妻と対峙する覚悟を決めた。

昨日妻がでていくとき、妻が単身でサヨナラするという話だったのだが、帰宅後には態度を翻し、親権も家も譲らない。お前がでていけという話になっていた。私は家に未練はないが、子どもは絶対に妻に任せておけないと思った。じゃあ泥沼の裁判をやろうと息巻いていたのでとりあえず停戦調停が必要だった。妻は女の子を育てるのが夢だったと言い出した。妻が子どもに対してそんな執着があるとは知らなかった。そういうポーズで困らせようとしているだけかもしれないが。

妻の主張を整理すると以下の通りだ。妻が私に妻の価値観を押し付けるのは問題ないが、逆は絶対に許さない。謝るくらいなら死ぬ。私が悪いことなどあるはずがない。私の出自や家庭環境、あるいは私が毒親育ちであるという妻の見立てについて、言及を控えることはできない。
これを受けて、私は私の価値観を妻に訴えて共感してもらおうとすることを諦める。妻の主張に共感できなくても受け入れる。私の両親や地元へのdisりを制限しない。妻にも落ち度や問題があるという主張はしない。そういう譲歩をすると決めた。

帰宅すると妻は起きていて、顔を見たくない、議論したくないと喚いた。そして上記主張を繰り返した。一通り受け止めた後、私の譲歩案を伝えた。それぞれについて本当にその覚悟が私にあるか試すように、ふっかけたり、怒らせようとしたり、無理難題を言ったりということを妻は繰り返していたが、その攻撃に辛抱強く耐えた。3時間後、ついに妻は満足したらしく、矛を収め、和平条約が結ばれた。

またしても、皆さんのご期待に添えず申し訳ありませんでした。どんどん生活条件が悪くなってますが、子どもが巣立つ頃には関係性が変わっていることを微かに期待します。