un deux droit

このブログには説明が書かれていません。

喋れない方がいっそ良い気がしてきた

またしょうもない口喧嘩で2時間ほど無駄にした。

事の発端は、妻がTVerのサムネイルを巡回していた時のこと。
妻が選択したあるバラエティ番組について、録画したデータがあることを把握していた私は、
「その番組は録画で録ってあるよ」と口にした。わざわざCMの飛ばせないTVerで見るのは時間の無駄だと感じたからだ。

するとそれが妻の癇に障った。は?どういう事、と。
妻は、視聴する番組を探索する傍ら、マイリスト登録の作業もしていた。妻曰く、視聴するつもりでクリックしたのではなく、マイリスト登録するつもりでクリックしたので、私の発言は「その番組は民放の録画機能で視聴するからマイリスト登録をするな」と行動を制約しようとする行為に映ったらしい。なんでマイリスト登録する、しないをあんたに口挟まれる筋合いがあるのかと。
私は、妻がその番組を見るためにクリックしたのだと思ったからつい口に出た、と詫びた。妻は「まだ再生を押していない段階で見咎めるのは窮屈だ、その指摘は再生されるまでしてはならない」と因縁をつけてきた。軽い気持ちでしたお知らせが、そんなこじれた解釈をされるとは。
最終的に妻は、お前は失敗を許容せず、失敗する可能性が予見された段階で意思決定に介入する過干渉野郎だ、社会主義者だ、独裁者だ、そういえばスターリンも毛沢東もヒトラーも寒い所の出身だ、北海道なんかで生まれ育つとそうやって不寛容で過干渉になるんだと偏見丸出しの民族差別を口汚く罵った。雪国は自然の刑務所で、失敗=死だから、失敗を先回りして目を摘むという文化が許容されているのだ。南国では失敗しても命に関わることはそうそうない。だから失敗から学ぶということが当たり前で、失敗させまいと結果が出る前に干渉してくることは越権行為なのだ。南の国に来たのだから北国だけで通用する陰湿なマイクロマネジメントは厳に慎むように。そう嗜められた。

私は私の発言がフライングの不当介入と受け止める方に解釈の歪みがあると思うし、仮に介入の意図があったとして、妻が抱く嫌悪感はかなり過敏だと思うのだが客観的にはどうなのだろうか。