un deux droit

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傷つくポイントのあべこべ

今日も今日とて痴話喧嘩。

本日のお題はゴミ袋。

朝、妻が「今日はペットボトルのゴミ回収の日だよ」と伝えてきた。

私は、ペットボトルのゴミは近所のスーパーで回収してもらうことにしていたので、「ペットボトルはスーパーに捨てに行くからいいかな」と伝えた。

しばらくして妻が「さっきの一言傷ついた、『いいかな』って何。なんで拒否されなきゃならないの」とクレームわつけてきた。

妻曰く、妻は「今日がゴミ回収の日だ」という「事実」しか発言してないのだから、その応答は「ペットボトルはスーパーで捨てているんだ」という「事実」を伝えるまでしかしてはならないのだそう。そこに『いいかな』という意思を付け加えてはならない。それをして良いのは、妻が『捨てたら』という意思を私にぶつけてきた時だけ。事実には事実を、意思には意思を。これが会話の原則である。それを逸脱するのはマナー違反だとのこと。厳密〜。

実際、事実を伝えるだけで、その文脈からやんわりと意思を滲ませる、なんてメタメッセージのコミュニケーションは世の中腐るほど飛び交っているので、妻との会話は本当に辛い。ローコンテクスト人間め。

この問題の解消法は、質問で返すしかないそうだ。
「私はなぜそれを言われたのかわからない。ただのお知らせなのか、ゴミ袋で捨てて欲しいという意味なのか。どちらですか?」
という返しだ。

さらには、
「私は日頃からスーパーのリサイクルにペットボトルを捨てていることを妻であるあなたも日頃から見ていると思っていたので、有料のゴミ袋での回収日をお知らせされることに戸惑っています。全く私の行動やペットボトルの行き先を把握していないのかと思うと少し傷つきもします」
ということすら言っていいらしい。

私が感じた困惑や憤りを飲み込んで、オブラートな「間に合ってます」と断るのは、その理由がわからないから疎外感を味わう。私がこのメカニズムを理解できないのは自尊心や自己肯定感が健全に発育されなかったことの証左である。そう妻が言い捨てることで私の自尊心を傷つけていることはいつまで経っても一顧だにされない。