un deux droit

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討死とはかくたるものか

今日の夫婦喧嘩は、静かに終焉を迎えた。

もう話すべきことは話し尽くし、それでいてなお、埋め難い溝が傲然と横たわり、お互い途方に暮れて対話を投げ出したのだ。

万策手を尽くした上で命を救うことができなかった執刀医はこんな無力感に襲われながら、せめてもの手向けとして掌を合わせるのだろう。御臨終です。

夫婦2人のどちらにも非はない。どちらも精一杯努力し、工夫を重ね、妥協を重ね、譲歩を重ねてきた。それでも2人が納得する着地点には辿り着けなかった。

私は妻が求める夫婦間の対話や気遣い、貢献意欲やアイディア力に近づけるよう力を尽くした。詳細は散々書いてきたのでもう書かない。しかし最近はもう自分に伸び代がないという感覚になってきた。もう自分は伸び切ってしまい、使い物にならなくなった。そこまでくたくたになるまで私を酷使して、それでもまだなお伸びろと迫る妻の非情さを憎々しく思うようになった。

妻は妻でいくら言葉を尽くし、時間をかけても、私に妻の言っていることを根本的に理解させるのは不可能と悟り、その徒労感に苦しんでいる。妻がパートナーに期待する向上心はどうしても譲れない一線で、その向上心がない人間と同じ空間を過ごすことに耐えられない。

私は生まれついた環境からの伸び率や、同じ日本人の男と比較しての家事育児偏差値で、自分の価値を認めさせようとしている。こんなに頑張っている男いないよ、それ以上は流石にわがままだ、と。それ以上の譲歩は私が幸せを感じられない。でも妻はそれ以上の譲歩がないと幸せを感じられない。もうどっちかが不幸になるしかない組み合わせなのだから論理的に考えて関係を解消するしかない。何年も苦労を重ねて得た結論はあまりに味気ないものだった。こんなこと、結婚前にわかるのは難しいよ。