un deux droit

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'22参院選は立憲民主党一択

全然支持されないことをあえて書いてみる。

私はそろそろ自民党に下野してもらう必要があると考えている。

それは、権力は必ず腐敗するものだからだ。

その兆候はモリカケ桜問題を今更蒸し返すまでもなく明らかなことは、自民党支持者ですらも一定数共感してもらえるところと思う。

安倍さんのやってきた不正と隠蔽は、本人の資質を憎んでも仕方がない。そもそも特定の人間に権力を集中させると高確率で起きる事象であり、一個人の理性や見識だけで自制しろというのが酷なくらい権力の集中を放置した側も反省しなければならないと思う。

中選挙区時代は与党内の中での派閥争いがある種の政権交代効果をもたらし、一定程度の緊張感と謙虚さを議員に強いることができた。小選挙区時代はそれを政権交代という仕組みでリセットするしかなくなったのだ。政党の好き嫌いなど言っても仕方がない。二大政党制にして定期的に政権交代させることで初めて有効に機能する政治制度なのだ。その意味では野党側の一定程度の集中と成熟がどうしても必要なのだ。あなたがどれだけ自民党が好きでも自民党が健全に機能するためにたまには下野させてやらねばならない。理屈としてはそういうことである。


過去自民党にまかせて来た期間のほうが結局世の中うまく行っていたじゃないかという声が聴こえてくる気がするが、例えばそれが高度経済成長のことを指しているならば贔屓目がすぎると思う。
自民党は高度経済成長の期間、まるごと政権を握り続けることができた。それは本当に自民党の歴史として幸運なことだったと思う。あの時期は人口ボーナス期で、安い人件費を武器に日本は無双状態だった。どの政党が政権を握っていようとだいたい同じ結論になったはずだ。高度経済成長をまるごと自民党の手柄とするのはちょっと虫がよすぎると思う。主義主張上は自民党と正反対であるはずの中国共産党が似たような構造で経済成長を遂げているのだ。まぁ主義主張というよりは運営システムが画一的、独裁的であればあるほど成果が上がる時代だったということも言えると思うので、「中央集権的」という意味で自民党と中国共産党は高度経済成長と親和性があったと言えるかもしれない。ともかくも、自民党は高度経済成長の恩恵を一身に浴びて、自らの手柄としながら政権運営とマスコミ戦略と官僚の手懐け方とピンハネの仕方をじっくりコツコツ熟成させることができた。その一家相伝の技術を駆使して、日本を全然上手く経営できていなくても、上手に経営できている「ように見せる」ことに成功し続けているのだ。

じゃあ2022年現在の日本はどうだ。まるきり人口オーナス期だ。どの政党がどんな政策を打っても基本うまくいかない。仮に政権交代しても次の与党が自民党よりもうまくやれることは少ないだろう。だから、なにか成長してやろうとか儲けてやろうと「プラス」を得ようとするよりも、どうせ自分の人生はいいことがない、とか、一部の特権階級だけが甘い汁を吸える、とかいう自己肯定感の低下や権力への不信感などの「マイナス」を減らすことに注力した方がいい。あまり豊かではないけれども、真っ当に扱われて真っ当なお給料をもらえて卑屈さを覚えずに暮らせる。人間として当然持っていていいはずの自尊心を毀損されない社会をつくる。とりあえず中抜きピンハネはない、と信頼の置ける社会にする。そうすると今のように自分さえ良ければと互いが自分の殻に閉じこもっているのではなく、社会のために一肌脱いでやろうと心を開く人が出てくる。そこから少しずつ地域コミュニティが再生されて、助け合い共有し合うことの心地よさ、そして効率の良さ、生きやすさを回復する。そうすれば多少なりとも人口オーナス期を乗り越える糸口も見えてくるだろうと思う。


ということで、まずその足がかりとして’22参院選あたりから野党の勝利を掴みたいところなのだが、じゃあどの政党に託すのかと言えば、消去法で立憲民主党しかないと考えている。あー、またなんかブーイングの声が聞こえてくる。でも冷静になって欲しい。いま大事なのは政策の是非ではない。自民党以外がとりあえず政権を握り、一定期間つつがなく運営することだ。革新的な法案がなんら採決されることはないかもしれないし、給料も1円も上がらないかもしれない。それでも構わない。この期間は自民党内部の新陳代謝を促進させるために必要な冷却期間なのだ。1993年の政権交代では3年しか自民党の下野期間はなかった(村山内閣は自社連立なので正味1年しか完全下野の期間はなかった!)。2009年の政権交代では自民党が下野したのは2012年末までの3年ちょっとだ。流石にちょっとチャンス与えなさすぎじゃない?結局自民党内部の新陳代謝はその程度の期間ではまるで果たされなかった。次はせめて5年くらいは大人しくしてもらわないと膿は出し切れないんじゃないかと思う。その5年間をとりあえず代理で担える政党として、少なくとも政権運営ノウハウの蓄積がある政党にまわしてもらう必要がある。それは旧民主党政権の経験者を多く要する立憲民主党であるという話。大丈夫、まだまだ日本の官僚は優秀だから、多少の国会運営の空転があってもしぶとくやり抜けるさ。

とにかく組織が成熟するのには時間がかかる。自民党なんて約70年の蓄積と政権運営ノウハウがある。それとぽっと出の野党を比べてレベルが違うなんて言う方がバカバカしい。野党をまともに育ててこなかったのは私達有権者のせいだということを常に忘れてはならない。次に政権交代を果たしても数々の目を覆いたくなる手抜かりがあるだろう。でもそれに寛容にならなくてはならない。チャンスを一定期間与えて成熟を見守る責任がある。しかし成熟の前に腐敗が先にくるのが人間の性なので5年位したら自民に戻す。それを繰り返すのだ。

「れいわ」じゃだめな理由は、まだ拙速だということ。一旦立憲に任せ、連立政権の中で実力をつけることができたなら、次の次の政権交代(また一旦自民に戻った次)は「れいわ」にチャンスがあるかもしれない。早くとも10年後。その時まで年号が変わらないか心配だけど。最大瞬間風速的に国会議員の頭数だけ揃えてもだめなのだ。地方議員からしっかり育てて市町村単位で実績をつくり、党としての地盤を固めなくては政治活動を継続していけない。れいわが好きなら(共産でもいいけど)まずは立憲なのだ。(「国民」は労働組合の手先=経団連の手先=自民党の手先。「維新」は…もうわかるよね)



最後に一言。私達日本人はあまりに長く自民党政権に任せたせいで、権力にかしづくことに慣れすぎてしまった。一昔前に学生運動がはやって有数のテロリスト産出国だった国と同じとは思えない。当時の権力への抵抗活動が激しすぎて、アレルギー反応を示すうちに今度はあまりに従順になりすぎた。上のやることに公然と文句は言わない。不当な取り扱いを受けても黙って耐える。そういう強力な「現状追認」遺伝子だけが淘汰されず生き残ってしまったかのようだ。そして逆に自分と大差ないように思える人がチャンスを得て支配する側にまわり、その人に仕えることに対して異様に嫌がる。そして執念深く足を引っ張る。この「生まれが違う」人に対する徹底的な無関心と「生まれが同じ」人に対する徹底的な同調圧力が日本の長期停滞の屋台骨になっている。この奴隷根性を克服しないと見な共倒れだよ。身内から代表を出そうよ。