un deux droit

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身体を酷使する快楽

昨日は22時ごろから週一で習慣にしている10kmランニングを敢行。梅雨特有の生温い湿気が容赦なく襲い、陽射しがなくとも汗だくになり、2kmほど走った段階で既に爽やかさのかけらもない苦行と化した。人口10万を抱える都市の中心部にある公園の、1周2km弱の整備されたランニングコースにも関わらず、走っている人間は目算で10人にも満たないくらい。みんなもっと運動した方がいいよ。

途中何度かギブアップしそうになったが、昨日はなぜか意地でも完走したくなった。身体は絶えず警戒サインを出してくる。脇腹が痛むし、ふくらはぎは早々に悲鳴をあげる。頭は茹でたように熱くなり、意志を砕こうと必死になっている。「このままだと怪我するぞ」「アキレス腱切れるかもよ」「熱中症が」「最悪、死ぬよ?」あの手この手を使って身体中が脅してくる。しかしそのどれもが身体が甘えたいだけの詐病であることもわかっている。足を止めた瞬間に、それまでのアラートがなんでもなかったかのように日常機能を取り戻す様を何度も体験してきた。要するに怠けたいだけなのだ。腹はダブついていないけれど、メンタルは完全にまなっている。その怠惰さを粉砕したくて走り続ける。

確かに昔のように若くなく、筋肉も衰え、突然死するリスクは高まっているかもしれない。思ったように体力が続かなかったり怪我の治りが遅くなったりしてきたので、不慮のトラブルに対する恐れは日増しに増している。けれどもそうやって「安全側」の選択肢を常に選び続けていけば、本当に何もできなくなってしまうような恐怖も一方である。そしてそんな自分になってしまった時に自分を許せない気もしている。だからまだ取り返しがつきそうなうちにちょっとずつ無理をして、負荷をかけたくなってしまう。

結局10kmは無事完走でき、大量の汗とともに怠惰心を搾り切った爽快感と共に寝る。朝目覚めると、心肺の疲労が手に取るようにわかる。血流や呼吸が安定していない。ここまで追い込んだ、という満足感と、この程度の追い込みでこんな体たらくか、という自嘲が錯綜する。とりあえずいつ死んでも構わないように、サブスク系の利用をいくつか停止する。