un deux droit

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「なんで私だけ」

昨夜、長女(7歳)と風呂に入っていると、長女が不意に、
「胸の傷がいやだ」
とこぼした。

乳児の頃に手術した心臓病の痕のことだ。

生まれてすぐに病気を知った時はあんなに落ち込んで、手術を死ぬほど悩み、術後の無事を嫌というほど祈ったのに、喉元過ぎればなんとやらで、すっかりそのことを忘れてしまっていた。手術前は、手術痕をみては可哀相にと思うんだろうなと悩んでいたのだが、全くそんなことはなかった。むしろ全く視界に入っていない。見る機会はあるけど全く認識できていない。それくらい自然なことになってしまった。そのことはとりあえず良いことだと思う。この事は手術を要するような先天性の病気を抱える子どもを授かった親御さんに声を大にして伝えたい。「心配するな」と。


しかし、さすがに当の本人にとっては事情が違うようだ。

習い事で通わせているプールで着替えるたびに、周囲の子ども達から「どうしたんそれ」と訊かれるのが鬱陶しいらしい。

特に落ち込んでいる様子もなく、ただうんざり、という態度ではあったが、「あーちゃん(次女)がうやらましい」と恨み言を言うので、すこしいたたまれない気持ちになる。

「確かにねーちゃんは、100人に1人くらいの珍しい病気で『なんで私だけ』って思うのも仕方ないと思う。でも、目が悪くて眼鏡かけてる子や、アレルギーで同じ給食を食べれない子なんかもいるよね。眼鏡かけてない子の方がとても多いし、アレルギー持ってない子の方がとても多い。だから、眼鏡の子もアレルギーの子も『なんで私だけ』って思ってると思うよ。『なんで』の中身は違っても、みんなそれぞれの『なんで私だけ』がある。あーちゃんには今のところ『なんで私だけ』っていう違いがなさそうだけど、それがこれから出てくるかもしれない。もし何も出てこなくても『なんで私だけ、人と違うところが一つもないの、何か人と違うところが欲しい』って悩む人だっているんだよ。とりあえず言えることは、みんなと違っているということは別に変なことじゃないから、あまり気にしないように頑張ってみようか。」

というような、わかるようなわからないような話で、はぐらかした。出る杭を恐れ、違っていることを極度に気にしてきた幼い頃の自分に説くように。