un deux droit

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理想とする上司との邂逅

期末の査定で最高評価がつき、人生で初めて100万超のボーナスをもらうことが確定した。営業成果は実際に残しはしたのだが、男のくせに過去に育休を累計で2年弱取ったり、経営陣の考える愚策に従順でなかったり、勝手に事業を有志で立ち上げそれが順調な滑り出しをしていたりと、私のことを嫌う一部の役員にとって「面白くない存在」と認識されており、どうせ査定も目減りするんだろうと思っていた。その見積りが良い方向に裏切られた。

査定の報告は今期から営業部長になった男からあった。部長から「いやー、今回は俺も頑張ったよ。あんどうの期待する額じゃないかもだけど、役員との交渉は精一杯やったつもりだ。これくらいで満足してもらえるだろうか」と告げられた。やはり一部役員からは査定を下げる圧力があり、部長が必死に私の成果を代弁し、一次考課の査定を死守してくれたのだ。この会社では事実を事実として認定させることが本当に難しい。役員の信じ込みたい妄想が事実となる。それを曲げさせて、役員の認めたくない事実を事実と認めさせたのだ。なんて優秀なエージェントなのだろう。

そもそも現場を何一つ知らないくせに最後の昇級昇格賞与査定の権限だけは意地でも手放さない役員陣の底抜けな支配欲のせいで、印象値によるバイアスが真実をイタズラに歪めているわけで、部長のガーディアン的な役割は本来不要な仕事ではある。最終査定は部長がすればいい。その権限すら有していないことが異常なのだが、まぁ中小企業の私物化なんてよくある話だろう。とにかく役員陣から嫌われている人材の評価を身を挺して守ってくれ、自分も嫌われるリスクを厭わなかった漢気を見せてくれた上司はこの会社で初めてだった。

頭はあんまり良くないし、体育会系のスメルがするし、施策もイマイチなものが多いけれど、「部下を守る」という最も基本で大切で困難な職務をから逃げなかった。一部に彼の熱狂的な信者がいるのはこういう所以かと納得した。守銭奴どもからしっかり金をもぎ取ってきて気持ちよく分配する。それを意気に感じて部下たちは必死に働く。そして次の年の成果が実る。

人事考課というのは「貢献したら報いてやるかもよ」と、先に貢献、後に報酬というのが一般的だ。そして自己評価は他者評価より高いというのが相場なので、客観的に公平に査定しようとすると多くの場合評価される側に不満を残す。そして客観的に公平な査定というのはそもそも不可能で、大概辛めの点数がつき、ますます不満は増大する。そして貢献意欲を阻害して不活性な組織の一丁上がり、というのが多くの企業の陥る病である。

この問題を回避するには、初年度に「本人の言い値で気前よく金を配る」というのが大切だ。評価者にとってたとえ不本意でも、客観的評価の110%くらいの査定を出す。その査定額は部下の主観的に100%ちょうどくらいになる。そうすることで評価者は部下からの信頼感を高め、部下の翌年度の貢献意欲を引き出すことができるのだ。「この人はちゃんと仕事をすれば見合った評価を下す」という記憶を最初に植え付ける。その仕込みがあれば2年目以降に多少点の辛い評価をする必要があっても、評価者の評価能力への信頼があるので納得してくれる可能性が高まる。

もちろんこれは理想論であり、全ての部下に均等にできることではない。しかし上司部下の関係になって2、3年の段階で「本人の言い値で評価してやる」というタイミングを設けることが望ましい。そうすることで翌年には「その評価に報いようと奮起する人間」なのか「評価だけネコババしてちょろまかす人間なのか」がわかる。前者は目標達成しようと頑張るし、仮に達成できなかったら評価者を信頼して自己評価を控えめにできる。後者は何も変わらない。貢献も同じで、自己評価も高いままだ。

前者は262の法則の中間6割、稲盛流に言えば「他燃性」の性質を持つ人間で、凡人の域だ。私もそこに当てはまる。1番人数が多いので、この層に火をつけられるかどうかで組織全体のパフォーマンスが様変わりする。部長はそのことがよくわかっている人間だと思った。

さて、私は今年の貢献が試されている。査定通知を受け取った当日はもう少し家庭への時間を控えて仕事にコミットしようかと思ったが、この数日の卒園入学周りのドタバタですっかり気持ちが潰えてしまった。仕事にフルコミットは到底無理。昨期は今のコミットの程度で成果が出たのだからやり方を無理に変ある必要はない。ただ余力があればできるだけチームのために時間を使い、それで目標に未達であれば自らに厳しい査定を下し、高い自己評価のボーナス総額の膨張に苦しむ部長を少しでも助けようと思う。