un deux droit

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田舎すぎることの弊害

子どもの誕生とコロナを理由に、かれこれ4年は実家に帰っていない。北海道の地を踏みしめていない期間としては人生最長。下の子も生まれてこの方、北海道未踏。あんまり離れすぎると望郷の念も薄らぎ、ますます億劫になってくる。味噌ラーメンとスープカレーとジンギスカンを自作のもので満足するようになり、海鮮の好みはすっかり白身魚へと変わった。北海道で20年以上も生まれ育ちながら、私と北海道をつなぎとめていたのは飯だけだったということに愕然とする。下手をすると次に帰るのは親の葬式になるのではないだろうか。

ちょっと前に、こんなツイートがバズっていた。拝借。

北海道出身というと高確率で羨ましがられ、自分が旅行に行ったときのエピソードを得々と語られ、出身の町を聞かれて「いや知らんわ」と気まずくなる、という三点セットを何度も経験してきたのであるが、私は日本国民の大半、もしかしたら北海道民の大半に認識すらされていない「青い国」の住人である。

新千歳空港からは車で約3時間、最寄り駅は廃線必至、人口数千人の押しも押されもせぬ「限界集落」の一つが私の出身の町。
そこには観光メディアの脚色が一切ない、「現実の北海道」が広がっている。

小学校、中学校とメンツの変わらない40人弱の同級生と過ごした幼少期。彼らの実家の7割は農家で、2割くらいは役場勤務か自営業。私の実家のように、親がサラリーマンというのは2人か3人くらいだったと思う。継ぐ家業のない私は、特に強い動機があったわけではないが、ぼんやりと札幌の大学に進学し、まぁ人生で一度くらいは東京で働いてみるかとのんきに就職し、あっさりと福岡に転勤して定住してしまった。たまたま進学を期に、幸運にも収まるところに収まった人生を手に入れることができたが、大学受験にもしどこもひっかからなかったら、どんな人生だったのだろうと背筋が凍る。私が地元に帰る気に一向になれないのは、地元に残っていた場合の現実をあまり見たくないからなんだと思う。
今も大半の同級生は地元の町で生活している。最後に帰ったときは夏祭りが開かれていて、初恋のあの人や、64をしに入り浸っていた男友達など、それぞれ家庭を持った同級生たちとことごとくすれ違った。それくらい小さな町なのだ。
彼らを一瞥して強烈に残った印象がある。皆一様に「煤けて」いたのだ。老けているとかではなく、セピア色というか、過去の時間のまま止まっていた。まるで90年代の雰囲気をそのまま引きずっているようだった。みんなスマホを持ち、子どもにはswitchを買ってあげているだろうけど、根本的に時間の進み方がずれている。町に新しい人が入らず、緩慢に朽ちていくだけの環境に身を置き続けることの恐ろしさを感じた。
田舎に定住をすすめるメディアや実際に移住する若者というのもごく一部でいるのだろうけれど、あまり賛同できないのはこういうところ。自分は都会にいたときのつながりがキープできるだろうけど、そこで子どもが生まれたりすれば、その子の原風景は「時間の止まった町」になる。それはものすごいハンディキャップを背負うことになると思う。福岡は田舎暮らしと都市生活が近接しているからいいとこ取りができる幸せな県です。

今週のお題「わたしの実家」