un deux droit

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人外

今週はいよいよギリギリまで追い詰められた。離婚届を私が取りに行くと言うところまで話が進み、子どもに「父母は別々に暮らす」と伝えるところまで進んだ。妻はそこまで私を追い詰めてからやや態度を変え、「あんた無責任じゃないの、そんな非情な人間とは思わんかった」と間接的に考えを改める方へ誘導を始めた。どうせ別れないと高を括って好き勝手に言い散らかしていたところに、私がいよいよ本気で離縁を決断したからそれは不都合と思った様子だ。
その後の流れはあまり記憶にないが、
「あなたとの暮らしはあなたからの一切の妥協や譲歩がなく、息が詰まる。この暮らしの好き嫌いを論じられる余裕すらない」
「あなたと話していると私が全て間違っているという話にしかならず、あなたが何か人間性を超越した存在のように感じられてきて、畏怖の感情に取り憑かれる。親しみや愛着の感情がうまく作動しない」
という趣旨の話をしたと思う。
妻も「私のことを嫌いなわけじゃない、私の方も追い詰め過ぎた」と反省の弁を述べた。こんな土壇場まで行かないと折れない妻の狭量さが恨めしいが、とりあえず矛を収めてくれたようだ。

ようやく息ができるようになり正常な思考を取り戻しはしたが、子どもとの離縁を決意するまで精神を追い詰められた後遺症が時折顔を出す。子どもたちの無邪気な表情や振る舞いを見たり、写真が目につくと唐突に涙腺が決壊しそうになる。これから私は、撤回はしたものの、子どもに別れを伝えるという残酷な仕打ちをした罪悪感と一生付き合っていくことになる。親として超えてはならない一線を超えた気がして、人間味をごっそり削られてしまったような空虚な感覚が常に付き纏っている。こんな夫婦の元からでも真っ当な子どもが育ってくれることだけを願っている。