un deux droit

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モテない男の自縄自縛

岡村隆史がラジオで放った女性蔑視の発言で批判を浴び、謝罪をした件。発言内容どうこうよりも、彼がどういう思考回路を辿ればあの発言がウケるという結論になるのか、ウケなくとも炎上まではしないと高を括れるのか不可思議でならなかった。それは単なる悪ノリという軽薄さを超えて、どこか心の叫びにも似た強迫観念めいた熱量を感じた。

このニュースを見て最初に思い出したのは、とある大学時代の友人だ。奨学金を丸ごと溶かすほど風俗に入れ込んでいた。彼いわく、街で会ったら口すら聞いてもらえないような華やかな女性が自分を対等に扱ってくれるんだとか。それがたとえ金銭を介した取引関係に立脚した対等性にすぎないとしても構わない。むしろ生身の自分では手の届かないところにお金さえ積めば確実に届くのだから、こんなに安心して堂々と女性と関われる環境は他にない、と豪語していた。

つまり彼は、自分は世の女性より一段下等な生物だと頑なに信じ込んでいて、お金を積んででしか女性と話したり肉体関係を持つ資格がないと自己卑下していた。そして自分がちょっとつまらないことを言って空気が白けたり、急にもっといい男の横槍が入ったりするような移ろいやすいナマの人間関係を嫌い、何があっても確実に保証された金銭取引の中に男女関係を閉じ込めた。ここなら支払った金銭に応じて一定時間決められた範囲の行為を行える。急に女性の気が変わったりご機嫌を損ねたりして至福の時を取り上げられる心配をしなくていい。そんなことを熱弁していたと記憶している。

言い換えると女性には自分の存在を100%受け止めて欲しいし、その場の流れで手に入ったり入らなかったりする不確実性を限りなく排除したい、ということらしい。要するにマザコンでお子ちゃまだったわけだ。

岡村がその友人と同じ心性かどうかは知らないけれど、そういうモテないなりに見苦しくあがいている卑小な自分の滑稽さこそが自分の芸人としての持ち味だと信じているのなら、かろうじてあの発言の趣旨は汲み取ることができる。もちろん擁護はしない。50手前にもなってまだそんなことで拗らせているなんて哀れだなと思うだけだ。