un deux droit

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どうせ破綻する生活ならば

早過ぎるゴールデンウィークが始まって、間も無く1ヶ月になる。外は早くも夏の装い。こんな気候をマスク着用で過ごさねばならないのかと思うと暗然とした心地になる。

新型コロナウイルスは依然として脅威だけれど、コロナの蔓延で間接的に露わになった、人生や生活の諸問題が引き起こすストレスの方が直近の脅威になっている人は少なくないはずだ。

政府中枢がどうしようもなく醜悪でポンコツなこと、勤めている会社が今後も安心して働ける会社ではないこと、会社は自分の存在とは関係なく存続したり潰れること、妻と致命的に価値観が合わないこと、子どもと向き合うことに苦痛を感じていること、体がたるんできていること。日々の忙しさにかまけて直視しないでやり過ごしていた様々な事柄は、時間ができたせいで嫌でも直視する機会が増える。本当は一つずつ丁寧に、今ではないにしてもいつかは必ず着手しようと思っていた厄介事が同時多発的に降り注ぐと、自分の人生丸ごと失敗してしまったかのような気分になる。失敗かどうかの事実という観点で見れば紛う事無き事実である一方、大概の人生が失敗なのだろうから気にしすぎであるとも言える。

あと1ヶ月も禁固状態が続けば個人や企業レベルでの淘汰が溢れ出てくるだろう。私は間違いなく淘汰される側。妻から追い出されるか、会社から追い出されるか、会社が市場から追い出されるかのどれかが発生しそうで、その確率はコロナにかかるより高い。Amazonプライムで流し見していた野生動物の番組でサメに丸呑みされる哀れな熱帯魚を自分の現況になぞらえてしまって少しナイーブになっている。ほんのわずかなニオイやちょっとヒレを動かしただけでも生じる電気信号で獲物を感知するサメもいるらしい。岩場に隠れてじっとしていてもいずれサメに喰われてしまう運命ならば、サメにバレるリスクを冒してでも悠々と海原を泳ぎたい。大病を患って人生の有限性、儚さを痛切に思い、その後起業したり夢に邁進して大成する人がいるが、コロナは多くの凡人にとって類似の効用をもたらすかもしれない。