un deux droit

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首輪としての札束

「男に子育てさせるのは、自然の摂理に反している」

昨日、一緒に酒を飲んだ五十代男性会社員の方から、このようなご発言をいただいた。

彼が言う「自然の摂理」というのが一体何を指すのかよくわからないが、とにかく女性が子育てに集中できない環境を作ってしまったから少子化が進んだのだ、と決めつけたくて仕方がないらしい。

彼の言い分は、夫婦別姓問題で「夫の姓になることが嬉しいと感じる人もいる」とかいう詭弁を使う人と同じ。専業主婦で子育てに専念したい女性もいるでしょうねそりゃ。でもそういう人がいることと、そういう生き方しか許さないこととの間には大きな隔絶がある。しかし、知ってのことなのかどうかは分からないが、その飛躍は積極的に無視される。子育て期間でも仕事したい女性、子を持たないという選択をする女性、子育てに主体的に関与したい男性が存在して、その存在が肯定されることは、専業主婦という生き方の否定ではない。それらのどの選択も共存できる。そういくら言葉を尽くしても、彼の耳には届かない。他のテーマだったら論理的に話せる知性がある人なのに、この件だけとても非合理的な強弁をする。とても残念だ。

彼が「男の給料を2倍にすればいいんだ」などという暴論を吐くので、「仮に倍にできるだけの原資が確保できたとして、それは女性に直接給付すれば済む話じゃないですか。なんでいちいち夫経由じゃないと補助貰えないんすか」とつい口を挟んでしまった。子ども産んだら一人あたり15歳まで月10万円。就労の有無や収入の多寡は関係なく一律給付。これで保育園に行かせるもよし、シッター雇うもよし。3人産めば30万。これほど多様な人生の楽しみがある時代にわざわざ出産という制約と苦労を受け入れてくれるんだからそれくらい払ってもいいよね。そんだけあれば暮らしに不自由ないし、保育料もっと上げても大丈夫。保育士の給料も上げられる。それをベーシックインカムと呼ぶのか生活保護と呼ぶのかはどちらでも構わないが、国家予算1兆円くらいでできる話。あながち非現実的とも言えないと思う。

こんな話をしたらグッと押し黙ってしまった。おそらく「女性に直接配る」という発想が思いつかなかったこと、そしてなぜ思いつかなかったかというと、根底では女性の自立自体を好ましく思っていないからであって、沈黙は自らの魂胆が露呈してしまったことに気づいたことの証左であった。女に直接金を配ったら、女が自分の言う事を聞かなくなる、あるいは自分を捨てて子どもと暮らす絵が容易に浮かんだのだろう。彼にとっての札束は、女子どもに嵌める首輪なのだ。結局のところ彼の主張は、子どものためでも女性の為でも社会のためでもなく、単に女が男の庇護のもとになく自由に暮らしているのが気に障る、というだけの話だ。

おじさん達に不都合な社会をつくることが、日本を立て直す唯一の特効薬ですよ。