un deux droit

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煮物の味の隔世遺伝


渡辺銀次が「不惑のチャーハン」をこしらえているであろう同時刻、私は「不惑の筑前煮」を仕込んでいた。

大鍋いっぱいに煮込まれている筑前煮を眺めていると、ふと正気に戻り、自分はいったい何を作っているのだろうという気持ちになる。確かにここまで作ったのは自分なのだが、ほぼ脊髄反射でここまで来てしまったので、工程についての記憶があいまいだ。なぜ自分はこんなものが作れるようになってしまったのか。ずいぶんと遠いところまで来てしまったような、妙な感慨にさいなまれるのだ。

「じゃあつく」で話題になった筑前煮。これを作っているといかにも主婦だなぁって感じがするので、自分のジェンダーバイアスはなかなかに強固だ。

一方で、筑前煮を作るのは、実は重労働である。下ごしらえしなければならない根菜の量が尋常ではない。ゴボウと里芋とレンコンと人参の下ごしらえをしてください、と待ちゆく人に頼んだら途中でギブアップすると思う。労力をかけた挙句、ただ煮込んだだけでは全然柔らかくならないし味も沁みなくて発狂すると思う。

むしろ、下ごしらえさえ終われば後の味付けの工程について繊細さはそれほど必要ない。醤油、みりん、酒、砂糖、だしの素を適当な配分でぶち込めばいい。あとは味見をして調整するだけだ。塩味が足りなければ醤油、素材の臭みが気になれば料理酒、甘みが足りなければ砂糖、コクが足りなければみりん、全体が足りなければだしの素。だいたいがこんな容量である。

出来上がった筑前煮を食べた妻や子供の評判は上々だ。だが、「おいしい」と言われても、調理の負担を担っていることに対する「ご機嫌取り」ではないかと、ひねくれた受け止め方をしてしまう。はいはいそうやって言うだけで毎食出てくるなら喜んで言うよねとぼんやりした相槌を打ちながら、脳内では「本当は鶏もも肉じゃなく、豚バラブロックの方が旨いんだよな」と思いにふけっていた。




私にとって「お袋の味」と言えば、母の料理ではなく、死んだ母方の祖父が作る煮物だ。

祖父は早くに奥さん(私にとってのおばあちゃん、だが、私が産まれるだいぶ前に亡くなっているのでおばあちゃんという実感がない)を亡くしており、家事全般は祖父が自らこなしていた。そのため料理も一通りできる。祖父のうちに行くと手料理をふるまってくれるが、その中でもダントツで好きだったのが煮物だ。お前は変わった子供だとよく言われていた。

祖父が作る煮物は、筑前煮とほぼ同じ具材だが、鶏の代わりに豚バラブロックを使っていた。里芋は入っていなかったな。ナルトが入っているのが特徴だった。(過去に一度、祖父の煮物を再現して妻に提供したら、ナルトなんかあり得ないと酷評されたのでそれ以来二度と作っていない。)私は祖父の煮物が大好物で、祖父の家に行くたびにせがんでいた。祖父もまた、私が遊びに行くとあらかじめわかっているときは、しばしばその煮物を用意して待ってくれていた。私が煮物をほおばる姿を見てはにかむ祖父の顔を思い出す。

その祖父の料理を、母は味が濃いと言って好まなかった。もともと化学調味料なんかを無闇に敵視する陰謀論者ではあったのだが、私が中学二年生の頃に、母は鈴木その子にハマり、ただでさえ味の薄かった料理が輪をかけて薄くなり、私の幼少期の家庭料理に対する記憶も極限まで薄くなった。夕食はただただ素材の味をそのままいただくような苦行だった。だから私に一親等的な意味においての「お袋の味」はない。かわりに、こういう類似の煮物を食べたときなんかには、今でも無性に祖父の煮物が食べたくなる。

じいちゃん。北海道でじいちゃんの煮物を食べて育った俺は、なぜか今遠く離れた九州で煮物を作って暮らしてるよ。人生って不思議だね。じいちゃんも空から怪訝な顔で今の俺の生活を眺めているだろうね。

そんな思考を巡らせながら、黙々と家族分の食器を洗い、みんなが寝静まってから風呂に入り、一人眠りにつく。




久しぶりに祖父のことを思い出したせいか、今日のランチは無性に味噌ラーメンが食べたくなった。北海道風の野菜炒めに、バターをのせて。


いろいろと御託を並べたけれども、ひょっとして俺はただ単純に料理が好きなことを認めたくないだけなんじゃなかろうか。