un deux droit

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孤独と自由はいつも

束縛されるのが嫌で、仕事の内容を固定されるのが嫌で、新規事業をつくり、部署移動を叶え、そして暇になった。
上司も同じ空間にいないし、服装も自由、勤務時間も自由、おまけにちょびっと昇給も叶えて2か月が経とうとしているが、すでに味気無さを感じている。

誰が期待をかけてくれるでもなし、自分ですべて考えて、自分ですべて働きかけて、自分ですべてを動かそうとしないと何も動かない。
ハブられているということではない。アイディアが涸れたり、原稿に行き詰ったときに相談に乗れる人はたくさんいる。たくさんいるのだが、壁打ちの相手として物足りなさを感じる。自分がやろうとしていること、書こうとしていること、問題として取り扱おうとしていることは、この会社の自力からして分不相応ということなのだろう。私が答えを出そうとしている事柄について、それに当事者意識をいただいたこともなければ、なんなら思いを馳せたことすらなく、どういう類のアイディアを出したらいいのかの手掛かりすら皆目見当がつかないと、みな白旗を挙げる。だから自分の企画、自分の原稿が、他者から何の咀嚼もされないままそのまま答えとして採用され、実行されるという気味の悪い事象が頻発する。

「よくわかんないけど、あんどうがそういってるんだから、きっとそうなんだろう。」

みんな脳みそ玄関に忘れてきたんじゃないの?私は脳みそがちゃんと作動する人間と会話することに飢えている。


山中さわおはかつて、孤独と自由は抱き合わせ、と言った。孤独になると、反面、自由を感じる。自由を得ると、反面、孤独を感じる。孤独であることを覚悟して、選んだ先におまけでついてくる自由は儲けものだが、自由を得ようともがいた先の孤独は後頭部を殴られるような死角からの一撃という感じがする。
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孤独を紛らわせる目くらましとして活用してるはてなブログ。そのトップページに久方ぶりに当ブログが登場。反響はとても緩やかだけど、読者登録が少し伸びたのは嬉しい。

それほど変化はない。