un deux droit

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幸せの在り処

本当なら今日からワンルームの契約が始まって、独り身の生活をしているはずだった。

それくらい破滅的な状態だった夫婦関係だったが、なんとか表面的な修復を施し、何もなかったかのようにいつものクリスマスを終え、家族との年末年始を過ごそうとしている。

空間的には一緒にいるものの、一度折れた心はなかなか回復せず、不意に虚しさというか、孤独感に襲われる瞬間がある。

精神的な別居、離縁、疎遠。同じ空間にいても起動しない心の温もり。

嫌いという感情ではない。何が幸せで何が不幸がよくわからなくなってしまった感じ。

本当に別居してワンルームに閉じこもっていたとして、手に入れた自由で得たかった幸せというものは特にない。ほんの2日家出状態だったけれど、せっかく開放された家事育児の時間を有効に活用することはできなかった。自分のためだけの楽しみで自分を満たす習慣がしばらく途絶えていたので、昔の習慣を無理やり取り戻そうとしても夢中になっていたときの気持ちが再現できない。テニスもやりたくないし、テレビゲームも欲しくない。カラオケも行きたくない。本もマンガも集中力が持続しない。食べたい飯も、会いたい友達もいない。

今年を振り返ると、意外といろんなことをした。新規事業を立ち上げて初年度目標の10社契約に漕ぎ着けた。家を建てて物理的な環境の豊かさを享受し、町内会やPTAなどの地域社会での繋がりも増えてきた。しかしそのことで自尊心や充足感は高まらなかった。だから何だという感じ。俗に幸せの象徴と言われるものをすべて手にして、何一つ不具合はない。これで幸せを感じられないならもう人生向いてないんじゃないか?年末ジャンボに当たったとて幸せを感じる能力がなければ使い途がないではないか。

ツイッターのタイムラインに流れてくる白血病と戦う人、足を事故で失いリハビリに挑む人。今現在の自分と比べ、圧倒的不自由な境遇にありながら、一日一日を全力で生きている。その姿を見てなんの不自由もない私が励まされ、1日でも長く生きてほしいと願い、更新があるたびに安堵している。そしてその度「不自由なのはどっちだ?」と情けなくなる。

2023年には、自分の幸せの在り処を特定し、その追求を尻込みしないように自分を大切にし、自分が満たされていることで持って周囲を幸せにする人間になりたい。自分が幸せでないのに人の幸せを願うのはおこがましいし、自分の幸せを理解していない人が他人を幸せにすることもできないのだから。

そしてもう少し前向きな内容をブログに綴れるようにしたい。


特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと