un deux droit

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我が家は片務的最恵国待遇

土日をほぼワンオペで乗り切る。妻はいるにはいたのだが、これから建てる家の間取りや家具について延々と思いを馳せて過ごしていた。それはそれでこれからの家族のためになるありがたい仕事なのだが、目の前の子ども2名の七転八倒劇を完全に無視できるタフネスには目を瞠るものがある。
朝食の支度、食事の世話、掃除機がけ、皿洗い、おむつがえ、遊びの付き合い、昼食の支度、食事の世話、皿洗い、おむつがえ、外遊び、買い出し、風呂掃除、夕食準備、食事の世話、風呂掃除、おむつがえ、遊びの付き合い、皿洗い、風呂の世話、ドライヤー、寝かしつけまでを2セット。この間風呂やキッチンの排水溝掃除だったり、ゴミをまとめたり、無限に散らかる部屋の片付けをしたり、おやつの催促をコントロールしたり、わがままにつきあったりつきあわなかったり、抱っこや肩車などの肉体労働をしたり、喧嘩を仲裁したり、安全を確保したり、とやることは無限にある。
こんな感じで常に動き回り疲労しつくした私に、妻が一言「〇〇がちゃんと閉まってなかったんだけど」という小さな小さな不備の文句を垂れる。なんだろう、喧嘩売ってるのかなと思いながらも「あぁ」と気のない返事をすると「私の気になることを真剣に取り合わないなんて心がない」とヒステリックになる。あなたの自由に没頭できる時間捻出のためにこれだけ忙しなく動き回っていたのに、その点に感謝もなく、そのたった一つの不備を指摘せずにはおれないというのはどういうことなのかと問うと、「私も集中していたからそんなにあなたが忙しくしていたとは思わなかった。大変だった、疲れたということはちゃんと口で言ってもらえないとわからない」と平然としている。この人は感覚器官がないpcにでもなったのだろうか。
私は可能な限り妻の様子を観察し、言い分はできるだけ耳を傾け、妻の望む生活の実現に貢献しようと気を張っているが、妻は私の様子に何一つ関心がなく、私の言い分は全て論破し、妻の望む生活の実現が私に取っても望ましい生活であると信じてやまない。なんだろう、私が心を砕きすぎなのだろうか。それともどこかに人権を忘れてきたのかな。