un deux droit

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贅沢品としての手帳

私はかつてほぼ日手帳ユーザーだった。

学生時代の女友達が、mother2をプレイするためだけにスーファミを保有するほどの糸井重里狂で、そこから転じてほぼ日を使っていた。その子のサブカルに精通している感じとか、劇団サークルを主催する姿が当時の私には「イケてる」大学生のように映った。彼女の泳ぐ世界に疎いことへの気後れを感じていた私は、猿真似から始めてみたのだった。

彼女に勧められるがままに、村上春樹に手を出し、斉藤和義を聴き、古着屋をハシゴし、ヴィレッジヴァンガードに通ってみたりした。まるきり「ぼくのかんがえたさいきょうのシモキタせいかつ」のような、取ってつけた上滑りの文化人気取りは、彼女がメンヘラとなった途端に終焉を迎えた。私はようやく正気を取り戻したかに思えたが、ほぼ日手帳だけは彼女と仲良くつるんでいた短い期間のうちに、私の生活習慣へとしっかりと組み込まれてしまったのだった。

当時の手帳にはスケジュール管理からTODOリスト、目標管理、寝る前に1日を振り返る日記、ちょっとしたアイディア帳、家計簿、読んだ本や観た映画のレビューと、私の生活の全てが刻み込まれていた。生活を記していたというより、「ほぼ日」に何かを記すために生活していた。「ほぼ日」に詰め込んだ文字数が日々の充実度の指標のように錯覚していたのだ。事実はどうあれ、体感の「リア充度」はほぼ日が担保してくれていた。

私の箱庭は就職で崩れた。崩したのはサイボウズ君だ。営業職だったので、予定は常に社内の人間とリアタイで共有することが求められた。サイボウズ上でブランクの時間帯には同僚から容赦なく予定を詰め込まれた。そして絶え間ない予定変更。日を跨ぐプロジェクトの情報管理。その全てがサイボウズで抜け漏れなく管理できるのに、それをわざわざ紙に転記する二度手間を弄する暇はなかった。空白が目立つようになった手帳が日常の味気なさ、余裕のなさを顕にしているような気分がして、私はその事実に蓋をすることを選んだ。手帳に記載する習慣を手放したのだ。

以来、日常の雑記はブログが役割を果たし、その他の事柄はそれぞれの管理に適したアプリに細切れで記録するようになった。手帳に全てを書くより遥かに便利だけど、ただ便利というだけ。手帳は現代生活においては不便で仕方がないが、人生全体を捉えることができた唯一のツールでもあったと思う。不便すらも愛せるアンティークとしての価値が手帳にはある。その価値は使う側の精神的余裕に委ねられている。

今週のお題「手帳」