un deux droit

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人生は楽しくなくて良い

最近仲良くしている女性とLINEをしていて、「スーパーで安売りされてる惣菜とお酒を買って、一人でご飯を食べてて、こんな人生で良かったのかなと虚しくなる」という愚痴をこぼされた。「あんどうは、なんか充実しているよね」と。

彼女は億を越える予算のプロジェクトを複数回す事業責任者で、日本中を日々せわしなく飛び回って関係各所との折衝を繰り返している。申し分ない報酬と地位を得て、様々な業界との人脈を日々構築して、この会社でも、おそらく今後転職する会社でも、ずっと表舞台で活躍できる人材だけど、プライベートでは子どもを授かることなく離婚して、シングル生活になっている。

すると、年収500万未満で低空飛行しながら、芳しい仕事の成果も上げることなく、妻の心ない言動に苛まれ、子育てと家事に埋没している私のような存在でも、輝かしい人生を謳歌しているような錯覚を覚えるようだ。んなわけあるか。

自分が彼女と違うのは、置かれた環境ではなくて、「私の人生がもっと楽しいものであるべきだ」という期待をしていない点だ。私が鷹揚としているのは、人生に満足をしているのではなく、人生を楽しもうとしていないだけだ。

そもそも、一体だれが人生を楽しんでいるというのか。ディズニーランドで人混みに揉まれる1日もキャンプで蚊に刺される一日もサウナで脱水症状になる1日も楽しい訳が無い。タワマンのてっぺんから東京を見下ろす暮らしだって、エレベーターの移動は不便だし、住民同士のマウンティング合戦や暮らしを維持するためのプレッシャーでストレスフルだし、田舎の古民家リノベ暮らしだってシンプルに不便で人恋しくもなるだろう。私にはそのどれもが「絶対的に楽しい人生」のような幻想を追いかけた末の狂気に見える。その幻想の追求を諦めさえすれば、誰の目にも止まらない風呂掃除のような単純作業にも、さして楽しくもない人生の退屈をほんの少しでも紛らせてくれる面白みがある。そうやって、自分の人生に対する期待値をぐんと下げた先に、「期待していなかった割に案外楽しい日々の暮らし」が見えてくる。人生なんて大概そんなもんだろう。もっと肩の力抜いていこうぜ。そんなことを思う。

冒頭の彼女にかけてやる言葉はとくにないので、適当な相槌ではぐらかす。その愚痴をこぼす相手がいる、ということ自体が、そう悪くない人生なのだと思うから。各々で折り合いをつけてくれ。