un deux droit

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#社員旅行スルー

#忘年会スルーが話題になっているようだが、甘い甘い。

私など5年も前に単身スルーを決め込んで、翌年から櫛の歯が欠けたように不参加者が増え、ついに今年は開催すらされなくなった。おそらく上司は恨んでいるだろうが、同僚からは感謝されている。蛇足になるが、職場の飲み会がないわけではない。そこに上司が誘われていないだけである。

そして今年、私は追撃の手を緩めず、今度は全社イベントに手をつけることにした。そう、悪名高き化石イベント、社員旅行である。

業績など諸々の要素で経営陣が行ける!と独断した年は、3月末、2泊3日の旅行に全員連行される。旅行というよりも不自由さ半端ない集団輸送である。

旅行の趣旨は、1年間のねぎらいと、寝食を共にすることによる更なる一体感の醸成らしいが、頭にカビが生えているとしか思えない。約60時間にわたって途切れなく社員と一緒に過ごさせられるなんて地獄でしかない。飯ですら一緒に食べるのが苦痛と感じる人すら存在するこのご時世で、風呂・寝るまで共にさせられることを耐えがたい苦痛と感じる人の気持ちがオヤジどもにはわからない。

オヤジどもは確かにもう恥という概念がないのだろう。普段だって髪はハゲ散らかし、口臭、体臭を撒き散らし、唾やら汗やら体液を飛ばして露骨に嫌悪と侮蔑の視線を平気でいられる超人だ。これよりさらに醜態を晒したところで失うものはない。

しかし、若者と、中年に差し掛かるミドル層はもっとナイーブなのだ。髪が薄くなりかけている、歯ぎしりがひどい、化粧のノリが悪くなってきた、少し体型が崩れてきた…表面的には見えてこない欠点や衰えを必死に隠し、努めて若々しくあろうと日々頑張っているのだ。それらの努力は就業時間というタイムリミットがあるから維持できるのだ。それらの脚色を全てシャワーで流してありのままを晒されることの苦痛がオヤジどもにはわからない。むしろわかっていてそのみっともなさを暴いて自分たちの土俵に引き摺り込みたいのかもしれない。いずれにせよ品性がない。

と、くだくだと書いたが私のボイコットの理由はそれではない。単に家庭内調整が死ぬほど面倒だと思ったからだ。大人2人でなんとかギリギリ回している日常を3日も不在にするなんて考えられない。ご飯は作りおけばいい?それとも店屋物?それで3日持つか?皿洗いは?洗濯は?風呂は?寝かしつけは?保育園の支度は?掃除は?どれだけ外注できる?それが全て大人1人に降り注ぐことの負担がわかるか?そんなことを悩みながら3日間も呑気に楽しめる精神の図太さを私は持ち合わせていない。帰宅したら家はもぬけの殻で、離婚届1枚寂しく置かれているかもしれない。

ちなみに子ども同伴は会社が全額費用負担してくれるという寛大な処置あるのだが全くありがたくない。見ず知らずの土地で知らない大人に囲まれ行きたくもないところに連れ回される子どもが幸せに過ごせるとは思えない。またワンオペ育児で旅行どころじゃないし、大概そういうイレギュラーなことをすると子どもというのは熱を出したり病気になったりするもんだ。その明白なリスクを冒すほど私は愚かではない。

じゃあ妻も同伴はどうか?それは自費負担で大体10万かかる。大名行列か。また妻のプライベートな姿を同僚に晒すのは私も妻本人も苦痛でしかない。結局どのパターンをシミュレートしてもバッドエンドにしかならず、会社には不参加の通告をした。当社の社員旅行において、本人の病気や介護を理由にしたもの以外で初めての欠席になる。上層部のお怒りを買うことは必至だが、全く構わない。その怒りは全くのお門違いで、皆様の価値観が時代遅れなことに気づくきっかけとなって感謝してほしいくらいだ。社員旅行への参加など、雇用契約に記された業務でもなんでもないのだから。

私の不参加を社員全員が知るのは3月に入ってから。みんなの反応が今から楽しみだ。そんなことできんの?と当惑する人もいれば、よくやったと私の勇気を称えてくれる人もいるだろう。そして不参加という選択肢が与えられた再来年の社員旅行がどのような形態になるか見ものである。それまでこの会社にいていられるのかよくわからないけれど。